「鳳翔 (空母)」の版間の差分

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→‎第二段作戦: 誤字修正。梅田ではなく元「鳳翔」艦長梅谷薫かと思われる。
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本海戦において、鳳翔航空隊は米艦隊と直接交戦する事はなかった。だが、赤城・加賀生存者を収容した長門や陸奥等に対し、医療品をドラム缶に詰め込み、それを複葉低速の九六艦攻(鳳翔機)が投下して届けるという一幕があった<ref name="波濤流雲青春386">[[#波濤と流雲と青春と]]386頁</ref>。
[[6月9日]]の日付変更後、主力部隊護衛中の三水戦の駆逐艦2隻(浦波、磯波)が衝突事故を起こす<ref name="叢書四三534">[[#叢書43|戦史叢書ミッドウェー海戦]]534-535頁『主力部隊の内地帰投』</ref>。事故現場に川内が残るが、主力部隊から遅れてしまい、2隻(川内、浦波)は鳳翔機の誘導により[[6月11日]]午前に合流した<ref name="叢書四三534" />。6月14日、主力部隊は内地に帰投する<ref name="叢書四三534" />。大和乗艦の宇垣参謀長は本作戦における鳳翔の行動について、『鳳翔は少数飛行機を以て悪天候と闘ひ克く其任務を達成せり共に賞賛すべきなり』と述べている<ref>[[#戦藻録(1968)]]150頁</ref>。この後、鳳翔は母艦搭乗員の着艦訓練<ref name="叢書四三640">[[#叢書43|戦史叢書ミッドウェー海戦]]640頁『注』</ref>および、潜水艦の標的空母として運用され、[[瀬戸内海]]から出ることもなくなった<ref name="機動部隊(2010)254">[[#空母機動部隊(2010)]]254頁</ref>。梅艦長(当時)は「幼稚園の保母さんの役目」と回想している<ref name="機動部隊(2010)254" />。
 
一方、日本海軍はミッドウェー海戦における主力空母4隻(赤城、加賀、蒼龍、飛龍)喪失をうけて、7月14日附で[[翔鶴型航空母艦]]を基幹とした[[第三艦隊 (日本海軍)|第三艦隊(機動部隊)]]を編制した<ref name="叢書四三637">[[#叢書43|戦史叢書ミッドウェー海戦]]637-639頁『第三艦隊の新設』</ref><ref name="叢書(88)465">[[#戦史叢書海軍戦備(2)]]465頁『一 第五十航空戦隊』</ref>。各艦(鳳翔、夕風、赤城《沈没、書類上在籍》<ref name="叢書四三640" />、飛龍《沈没、書類上在籍》<ref name="叢書四三640" />)は第三艦隊附属となり、鳳翔は着艦練習艦となる<ref name="叢書四三637" /><ref name="叢書四三640" />。また航空母艦搭載機搭乗員を育成するため、[[鹿屋海軍航空隊#鹿屋海軍航空隊 (二代)|鹿屋海軍航空隊]](艦爆、艦攻)と[[築城海軍航空隊]](艦戦)が第三艦隊附属となって補充員の錬成にあたるが、第三艦隊の空母(翔鶴、瑞鶴、瑞鳳、隼鷹、飛鷹、龍驤《8月下旬沈没》)は[[ガダルカナル島の戦い]]に投入されて内地に戻れず、鹿屋・築城航空隊とも効果的な教育訓練が出来なかった<ref name="叢書(88)465" />。