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== 生涯 ==
天正8年(1580年)、加藤氏の家臣・加藤可重の子として誕生。兄が討死したため、家督は従兄[[加藤重泰]]が継いだ。正方はその養子となり家督を相続した
 
[[慶長]]年間の中頃に、熊本藩の[[内牧城]]代として[[加藤重泰]]の跡を継ぐ。藩主・[[加藤清正]]の死後、慶長17年([[1612年]])に[[江戸幕府]]より[[八代城#麦島城|麦島城]]代に任じられる。のちに同僚の[[加藤正次 (戦国武将)|加藤正次]]らと対立、[[牛方馬方騒動]]を起こして[[元和 (日本)|元和]]4年([[1618年]])に勝訴した。
 
翌元和5年([[1619年]])に麦島城一円が大地震で崩壊すると、藩主・[[加藤忠広|忠広]]の命で新たに[[八代城#松江城|松江城]]の築城を開始。萩原提や前川提といった堤防を築くことで、[[球磨川]]が流れる松江城下と周辺の村に治水工事を施す。元和8年([[1622年]])に松江城の竣工により城代[[家老]]の職についた。