「マジノ線」の版間の差分

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|commanders=
|battles= [[ナチス・ドイツのフランス侵攻]]}}
 
{{出典の明記|date=2012202142月}}
 
'''マジノ線'''(マジノせん、{{lang-fr-short|'''Ligne Maginot'''}}、{{lang-de-short|'''Maginot-Linie'''}}、{{lang-en-short|'''Maginot Line'''}})は、[[フランス]]・[[ドイツ]]国境を中心に構築されたフランスの対ドイツ[[要塞]]線である。当時のフランス陸軍大臣[[アンドレ・マジノ]]({{lang|fr|André Maginot}}、[[1877年]] - [[1932年]])の名を冠してマジノ線と称する。
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==欠陥==
{{出典の明記|date=2012年4月}}
[[Image:Fort Schoenenbourg FRA 050.jpg|right|220px|thumb|シェーネンブール要塞の内部。床には兵員移動用の電気トロッコのレールが残る。]]
[[File:Billig B5 75.jpg|220px|thumb|[[ティオンヴィル]]要塞の砲郭(ケースメイト)。]]
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* ベルギー及びフランスがドイツの手に落ちることをイギリスが黙って見ているはずはない。ベルギーにドイツが侵入しやすいようにしておいたほうが、イギリスを味方とするのに都合が良い。
* ベルギーを迂回して時間を稼がせることで、フランスが兵力を集中する余裕ができる。
{{要出典|範囲=マジノ線から動かせなかったというのは、ドイツ軍が[[ジークフリート線]]をマジノ線に対面させる形で建設させていたため動かせなかったというのがある。塹壕戦の発想で動いているため敵が強固な陣地を築いている時は相応の戦力で挑むしかなかったというのがある|date=2021年2月}}
 
==ドイツ軍の対マジノ線兵器==