「アイルランド共和軍」の版間の差分

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この和平の結果、[[イギリス連邦]]内で英国王を国家元首に頂く[[自治領]]「アイルランド自由国」が成立するが、あくまで完全に独立した共和国の設立を目指すデ・ヴァレラらは条約締結に反対し、[[アーサー・グリフィス]]やコリンズら条約派と対立した。その結果IRAは、{{仮リンク|アイルランド自由国軍|en|National Army (Ireland)|label=自由国軍}}に編入されるグループとデ・ヴァレラ派に分裂した<ref group="注釈">1990年代まで活動していたIRAはこのデ・ヴァレラ派の系列である。</ref>。そして、条約の賛否を問う国民投票でデ・ヴァレラら反条約派が敗れると、IRAは武装蜂起し、[[アイルランド内戦|内戦]]がダブリンを中心に広がり、コリンズも何者かによって殺害される<ref group="注釈">コリンズを暗殺したのが誰だったのかはいまだに不明であるが、反条約派によるとする説、イギリス軍によるとする説などがある。</ref>。そして1921年に、内戦を格好の口実としてアルスター議会は自由国からの離脱を宣言、アイルランドは南北に分かれることとなった。
 
内戦後の政府による弾圧<ref group="注釈">デ・ヴァレラも首相になった途端に弾圧に転じた。</ref>のため、IRAは衰退した。[[第二次世界大戦]]において[[第二世界大戦期アイルランドの局外中立|アイルランドは公式には中立の立場]]を取ったが、IRAはこの時期に[[国家社会主義ドイツ労働者党|ナチス]]の援助を求めて代表者がドイツに渡航するなどしており、北アイルランドに対する攻撃について対独協力していたとの指摘もある。
 
ドイツと同じ[[枢軸国]]である[[大日本帝国|日本]]がシンガポールを陥落させると([[シンガポールの戦い]])、IRA幹部で後に上院議長となったトム・マリンズらがダブリン駐在日本[[領事]]を囲んで祝賀会を開いた。このほかアイルランド政府も大戦中、日本の在欧外交拠点に対して送金に便宜を図るなど支援した<ref>{{Cite news|url=http://www.sankei.com/world/news/170205/wor1702050038-n1.html|title=日本びいきのアイリッシュ 大戦「シンガポール陥落」…首都では日本領事囲み祝賀会|work=|publisher=[[産経新聞]]|date=2017年2月5日}}</ref>。