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| 方言 = [[東京弁]]
| 最終学歴 = [[東京都立竹台高等学校]][[卒業]]
| 師匠 = [[片岡鶴八]]、[[隼ジュン]]
| 出身 =
| コンビ名 =
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| 受賞歴 = [[新語・流行語大賞]]流行語部門・大衆賞<br />第15回[[日本放送演芸大賞]]奨励賞<br />第4回[[花王名人大賞]]新人賞<br />第5回・第6回花王名人大賞名人賞<br />第10回[[手島右卿]]賞(書道)
}}
'''片岡 鶴太郎'''(かたおか つるたろう、[[1954年]][[12月21日]] - )は、[[日本]]の
本名は'''荻野 繁雄'''(おぎの しげお)。愛称は「'''鶴ちゃん'''」。[[太田プロダクション]]所属。 弟は太田プロダクション社員(バラエティマネージメント1 [[東京都]][[荒川区]][[西日暮里]]出身<ref name="nhkg20150313">{{Cite episode |title = 片岡鶴太郎〜羽子板と闇市の恋 下町・泣き笑い物語〜 |series = [[ファミリーヒストリー]] |network = [[NHK総合]] |airdate=2015-03-13 |url = https://datazoo.jp/tv/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%83%9F%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%92%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%AA%E3%83%BC/838669 }}</ref>。[[東京都立竹台高等学校]]卒業。
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=== 生い立ち ===
実家の荻野家は[[埼玉県]][[所沢市]]の農家であり<ref name="ierireki">{{Cite journal |和書 |title=家の履歴書(461) |journal=[[週刊文春]] |issue=2004年3月4日号 |publisher=[[文藝春秋]] |pages=70-73}}</ref>、父方の祖父は[[神田 (千代田区)|神田]]で果物屋を営んでいた<ref name="nhkg20150313" />。鶴太郎の父は長男だったため、
鶴太郎は父
高校進学に際しては、中学3年時の初めには成績が下から2、3番だったが、夏休みの1か月間で小学校6年生の教科書からやり直し上位10番に入り、[[東京都立竹台高等学校]]に入学した。演劇部に所属し、3年次には部長を務めた<ref>{{Cite web|url=https://spice.eplus.jp/articles/167253|title=片岡鶴太郎 25年ぶりの舞台『笑う巨塔』出演 ~タクフェス「春のコメディ祭」取材会で意気込みを語る|publisher=SPICE|date=2018-02-20|accessdate=2021-01-24}}</ref>。 === デビュー ===
[[高等学校|高校]][[卒業]]後、[[俳優]]を目指して[[清川虹子]]の自宅へ何のあても無く唐突に訪問し、弟子入りを志願したが清川には会えず、清川の付き人から「男の付き人は採らない」と断られ、終いには「[[警察]]を呼ぶぞ」と警告されて断念した。粘れば弟子入りを許してもらえるだろうと思っていた目論見が崩れてしまった鶴太郎は、生活の為しばらく土木作業員などの仕事を経験した後、[[1973年]]に[[声帯模写]]の[[片岡鶴八]]に弟子入りし、声帯模写で[[東宝名人会]]や[[浅草松竹演芸場]]などの舞台に出演するようになる<ref name="週刊現代" >{{Cite journal |和書 |journal=[[週刊現代]] |issue=2010年10月9日号 |publisher=[[講談社]] |pages=86-88}}</ref><ref name="city.arakawa" >{{Cite interview |subject=片岡鶴太郎 |interviewer=江坂裕子 |title=俳優、画家 片岡鶴太郎 |url=http://www.city.arakawa.tokyo.jp/unet/issue/interview/0410/index.html |program=荒川ゆうネットアーカイブ, [[荒川区]] |accessdate=2018-02-02}}</ref>。
師匠
[[1976年]]頃に大阪で[[隼ジュン]](後の隼ブラザーズ)の元で修行し、岡鶴太郎(デビュー当初は「片」がない)の芸名(後に「華の鶴太郎」)でトランポリンの地方興行を行う。2年ほど在籍した後、このままで終わってしまうことに不安を感じ、九州興行の際、無断で一座から逐電し
=== 全国区の人気 ===
24歳
当時は小太りの体型で、熱い[[おでん]]を無理矢理食べさせられて大げさなリアクションを繰り出す<ref>おでんはネタとして行ったものではなく、1984年3月17日に放送されたひょうきん族のコント(鶴太郎は浦辺粂子役)で夕食のシーンに出てきたおでんがあまりにも熱く、氷水を飲んで流し込もうとしたが喉につっかえて噴きだしてしまった。その様があまりにも面白かったため定番のネタとなった。</ref> など、被虐的な[[キャラクター]]だった。そのため、鶴太郎
今でこそその芸風は{{読み仮名|払拭|ふっしょく}}され全く見られないが、『[[オールナイトフジ]]』では[[ポータブルトイレ#おまる|おまる]]の中に[[かりんとう]]を入れて示すなどの下ネタを披露したり、同番組内の“鶴太郎劇団”という寸劇コーナーでは頻繁に女装して、男装した共演の女子大生と絡みのシーンを演じる、劇の最後のオチで全裸を女子大生に見せ付けるといった下品なキャラクターであった。「アブラギッシュな男No.1」という
お茶の間に定着して以降、物真似では
▲お茶の間に定着して以降、物真似ではとりわけ老けキャラの開拓を得意とし([[小森和子]]・[[浦辺粂子]]・[[坂上二郎]]など多数)、後年にも、[[宮路年雄]](城南電機社長)や[[横山昭二]]([[麻原彰晃]]の最初の[[弁護人#私選弁護人|私選弁護人]])ら、話題の人物を好んで演じてみせた。
持ち前の器用さからバラエティ番組の司会やトークも数多くこなし、1986年には鶴太郎の造語「[[プッツン]]」(たとえとして脳の血管や堪忍袋の緒、あるいは緊張の糸が切れて突飛な行動を取ること。またはその人物)が[[新語・流行語大賞]]の流行語部門・大衆賞に選ばれた。
=== 多方面での活動 ===
『[[森田一義アワー 笑っていいとも!|笑っていいとも!]]』
もともと歌が上手く([[東京荒川少年少女合唱隊]]の第一期生でもあった)、歌唱力の高さを活かして[[1980年代]]半ば頃まではコンスタントにシングルを発売していた。『[[オレたちひょうきん族]]』などで歌わせてもらうもヒットせず逆にお世辞にも上手とは言えない[[明石家さんま]]が「真赤なウソ」や人気コーナー「[[タケちゃんマン]]」の挿入歌「アミダばばあの唄」、CMで話題となった「幸せってなんだっけ」をヒットさせたことで、なぜさんまより歌の上手い自分の曲がヒットしないのかとぼやいていたという。鶴太郎は当時『ひょうきん族』の収録日である水曜日に生放送されていた『[[夜のヒットスタジオ]]』にも歌手として2度ほど出演実績を持っている。一方さんまは飛び入りの応援ゲストとしての登場はあったが、歌手としての出演実績はない。▼
▲もともと歌が上手く([[東京荒川少年少女合唱隊]]の第一期生でもあった)、歌唱力の高さを活かして[[1980年代]]半ば頃まではコンスタントにシングルを発売していた。『[[オレたちひょうきん族]]』などで歌わせてもらうもヒットせず逆にお世辞にも上手とは言えない[[明石家さんま]]が「真赤なウソ」や、人気コーナー「[[タケちゃんマン]]」の挿入歌「アミダばばあの唄」、CMで話題となった「幸せってなんだっけ」をヒットさせたことで、なぜさんまより歌の上手い自分の曲がヒットしないのかとぼやいていたという。鶴太郎は当時『ひょうきん族』の収録日である水曜日に生放送されていた『[[夜のヒットスタジオ]]』にも歌手として2度ほど出演実績を持っている。一方さんまは飛び入りの応援ゲストとしての登場はあったが、歌手としての出演実績はない。
『[[ザ・ベストテン]]』にもランクイン記録はないが1989年7月27日放送のスポットライトのコーナーに「思いの丈で…」で出演したことがある。▼
[[1988年]]には、「今までの自分が嫌になり、それを否定したかった」という理由から[[プロボクサー]]テストを受験。当時[[ボクシング]]のプロテストの受験資格年齢は29歳までであったため、33歳(当時)の鶴太郎には本来受験資格がなかったが、[[日本ボクシングコミッション]](JBC)に懸命に頼み込み、「合格しても試合には出場できない」という条件で特別に受験が叶い合格した。受験にあたって前年から減量を始め、それまでの小太りから急激にシャープな体型に変わった。▼
▲[[1988年]]には、「今までの自分が嫌になり、それを否定したかった」という理由から
プロテスト後は[[鬼塚勝也]]や[[畑山隆則]]のマネージャーとして、タイトルマッチではセコンドを務めるなど両人の世界王座奪取に大きく貢献。後に、芸能活動において鬼塚や畑山などの元プロボクサーが鶴太郎と同じ太田プロに所属する切っ掛けとなった。[[1988年]]から[[1994年]]に放送された『[[季節はずれの海岸物語]]』では主役の高村圭介を演じると同時に、鬼塚勝也との共演も果たした。1990年にTBS『[[月曜ドラマスペシャル]]』で放送された『昭和のチャンプ〜たこ八郎物語〜』では、かつて『オレたちひょうきん族』で物まねをした[[たこ八郎]]を、彼の前半生でのボクサーとしての視点を主体にシリアスに演じている。▼
▲プロ
[[1988年]]、映画『[[異人たちとの夏]]』の監督・[[大林宣彦]]に[[江戸弁]]を気に入られ主人公の父親役に抜擢されると評判を呼び、多くの映画賞を受賞、活動の軸足を[[俳優]]に移す<ref name="週刊現代" /><ref name="city.arakawa" />。そして[[1991年]]の[[大河ドラマ|NHK大河ドラマ]]『[[太平記 (NHK大河ドラマ)|太平記]]』の[[北条高時]]役を演じたことで役者としての決定的評価を得ることになる。後年、大河ドラマでは『[[元禄繚乱]]』(1999年)で[[英一蝶]]役を演じた。『[[軍師官兵衛]]』(2014年)では[[小寺政職]]役を演じたが、『[[仁義なき戦い]]』における[[金子信雄]]のイメージというオファー<ref>{{Cite web |url=http://mantan-web.jp/2013/05/11/20130510dog00m200062000c.html |title=片岡鶴太郎:5度目大河は「金子信雄で」と意気込み |publisher=[[まんたんブロード|MANTANWEB]] |date=2013-05-11 |accessdate=2016-09-04}}</ref> があったことから、芸人色の濃い演技となっている。▼
▲[[1988年]]、映画『[[異人たちとの夏]]』の監督・[[大林宣彦]]に[[江戸弁]]を気に入られ、主人公の父親役に
[[1990年代]]には[[横溝正史]]原作一連の推理ドラマに、主人公の探偵・[[金田一耕助]]役で毎年出演(計9本)し、[[石坂浩二]]や[[古谷一行]]らと並んで金田一役の代表的俳優の一角を占めることになった。以降も『[[家栽の人]]』では植物を愛し人間の本質を見抜く暖かみのある桑田判事役を、『[[ララバイ刑事]]』ではどこか虚無的な雰囲気のある刑事を演じるなど、コンスタントに活躍を見せている。▼
▲[[1990年代]]には[[横溝正史]]原作一連の推理ドラマに、主人公の探偵・[[金田一耕助]]役で毎年出演(計9本)し、
近年は2時間サスペンスドラマの主役として活躍する機会が多く、特に[[露口茂]]から引き継いだ『[[終着駅シリーズ]]』での牛尾正直刑事役は当たり役の1つ。同シリーズの2007年9月22日放送『〜悪の条件』では1985年にフジテレビ系列で放送された『[[夕やけニャンニャン]]』以来約22年ぶりに[[国生さゆり]]と共演した。『[[八丁堀の七人]]』では久々に[[山田邦子]]と共演し、『オレたちひょうきん族』のコントを{{読み仮名|髣髴|ほうふつ}}とさせるやりとりを見せた。▼
▲
飲み仲間だった[[志村けん]]の著書によると、鶴太郎は酒の席で「自分は
テレビで[[柳原可奈子]]を見た際、彼女の芸を気に入った鶴太郎は、既に太田プロ
お笑い以外の多方面での活動が活発になりながらも、『[[爆笑そっくりものまね紅白歌合戦スペシャル]]』や『[[爆笑レッドカーペット]]』に審査員として
2000年
2012年から、[[瞑想]]への関心をきっかけとして、毎朝起きると4時間[[ヨガ]]を実践し、5年目の2017年にはインド政府公認「プロフェッショナルヨガ検定・インストラクター」の全4段階中の難関のレベル1に合格した<ref>{{Cite web |url=http://www.oricon.co.jp/news/2092312/full/ |title=片岡鶴太郎、インド政府公認のヨガ検定合格&親善大使就任 体重も43キロに「Sサイズもブカブカ」 |publisher=ORICON NEWS |date= |accessdate=2017-07-07}}</ref><ref>{{Cite web |url=http://www.excite.co.jp/News/entertainment_g/20170702/Myjitsu_025288.html |title=体重65キロが43キロ!片岡鶴太郎がヨガに目覚めた動機 |publisher=エキサイトニュース |date= |accessdate=2017-07-07}}</ref>。
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== 芸術家として ==
[[ファイル:Kataoka art museum kusatsu.JPG|thumb|草津町にある片岡鶴太郎美術館]]
[[群馬県]][[吾妻郡]][[草津町]]、[[福島県]][[福島市]]に美術館、[[石川県]][[加賀市]]、[[佐賀県]][[伊万里市]]に工藝館がある。
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[[2015年]]3月、書家として第10回[[手島右卿]]賞を受賞した(作品「夜」)<ref>{{Cite news |title=片岡鶴太郎、書道の手島右卿賞「勢いと独特のクオリティー」 |newspaper=Sponichi Annex |date=2015-03-01 |url=http://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2015/03/01/kiji/K20150301009895470.html |accessdate=2016-09-04}}</ref>。
== 影響 ==
* 弟子にタレントの[[春一番 (お笑い芸人)|春一番]]がいる。
== 読字障害 ==
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