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[[File:Casimir Funk 01.jpg|thumb|right|カシミール・フンク]]
'''カシミール・フンク'''(Casimir Funk, [[1884年]][[2月23日]] - [[1967年]][[11月20日]])は、[[ポーランド]]の生化学者。[[ビタミン]]の発見者、命名者として知られる。カシミールは[[英語]]での名前であり、ポーランドでの名は'''カジミェシュ・フンク''' (Kazimierz Funk)。
 
==経歴==
[[ワルシャワ]]で[[ユダヤ系]]の家に生まれ、[[1904年]]に[[ベルン大学]]で学位を取得。[[パリ]]の[[パスツール研究所]]、[[フンボルト大学ベルリン|ベルリン大学]]、[[ロンドン]]のリスター予防医学研究所などで研究。[[1915年]]にアメリカに渡り、[[1920年]]にはアメリカの市民権を取得している。その後一時ポーランドへ戻るが政情不安を理由にパリに移り、自分の研究所を持つようになる。同じ頃に結婚し、最終的には15人の父となった。
 
オランダの医師[[クリスティアーン・エイクマン]]による[[玄米]]と[[白米]]を食べた人の[[脚気]]になりやすさについての記事を読んだことから、脚気の原因について研究した。[[1911年]]に[[糠|米ぬか]]に含まれる化学物質が欠乏することによってこの病気が起ることを発見したと発表すると、[[1912年]]にこれを「重要な生命活動をつかさどる[[アミン]]」という意味の造語で「ビタミン」と名づけ、ビタミン摂取の重要性を主張した<ref>{{cite book |last=Funk |first= Casimir |title=Die Vitamine, ihre Bedeutung für die Physiologie und Pathologie: mit besonderer Berücksichtigung der Avitaminosen: (Beriberi, Skorbut, Pellagra, Rachitis); Anhang: Die Wachstumsubstanz und das Krebsproblem |place=Wiesbaden |publisher= J. F. Bergmann|year= 1914 |url= https://archive.org/details/dievitamineihreb00funk/page/n7|accessdate= 2021.2.23 |via= Internet Archive }}. See also {{cite book |last=Funk |first= Casimir |title= The Vitamines |place=Baltimore |publisher= Williams & Wilkins |translator= Dubin, Harry E. from the Second German Edition |year= 1922 |url=https://archive.org/details/vitamines00funk/page/n3 |accessdate= 26 October 2018 |via= Internet Archive }}</ref>。これは[[ビタミンB1]]であったが、その後[[ビタミンB2]]、[[ビタミンC]]、[[ナイアシン]]、[[チアミン]]などを発見している。
 
ビタミン以外にも、ホルモン、糖尿病、消化性潰瘍、癌に関する研究を行った。
 
[[1967年]]に[[ニューヨーク]]で死去。
 
==出典==
{{Reflist}}
 
{{Commonscat|Casimir Funk}}