「山形女王」の版間の差分
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壁掛成蛸は三考する葦である (会話 | 投稿記録) 編集の要約なし |
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『続日本紀』によれば、養老から[[神亀]]に改元した直後([[724年]])の叙位の際に、に[[正四位|正四位上]]を授かる。既にこの時までに[[正四位|正四位下]]だった<ref>『続日本紀』神亀元年2月6日条</ref>。同じ日に兄の[[長屋王]]の室である[[吉備内親王]]が[[二品]]を授けられており、同じく長屋王の妾である[[藤原長娥子]]や、[[智努女王|智奴女王]]も長屋王の妾の1人とみる説に従うと、長屋王の血縁者がこの時揃って授位されたということになる<ref>岩波書店『続日本紀』2 - p144注一四 ・一六・一七</ref>。
その後、[[天平]]7年([[735年]])の「[[相模国]]封戸租交易帳」に[[従三位]]、封50戸と記されている。
== 官歴 ==
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*[[天平]]7年([[735年]])頃:[[従三位]]
*時期不詳:[[正三位]]
*天平17年
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
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*[[長屋王の変]]
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{{Japanese-history-stub}}
{{{DEFAULTSORT:やまかたしよおう}}
[[Category:8世紀日本の女性]]
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