削除された内容 追加された内容
編集の要約なし
タグ: モバイル編集 モバイルウェブ編集 改良版モバイル編集
編集の要約なし
タグ: ビジュアルエディター モバイル編集 モバイルウェブ編集 改良版モバイル編集
498行目:
:: アニメ映画とは違い、人形や財布等はなく、そのまま遺体は清太によって[[荼毘]]に付された。
:* 横川 清 - [[沢村一樹]]
:: 清太と節子の父で、海軍大佐</ref><ref group="注釈"> 劇中で、父本人及び清太が口にしているシーンがある。
::: 1943年夏、出征の際、息子の清太に自分の代わりに大黒柱として母の京子と妹の節子を守り抜くよう言い聞かせた。戦争終了後、実は既に死亡していたことが判明する。
:::* 横川 京子 - [[夏川結衣]]
:::: 清太と節子の母。
:::
::; 澤野家
:::* 澤野 久子 - [[松嶋菜々子]]
:::: 親戚の叔母。半年前に嫁ぎ先の源造の実家を空襲で失い疎開してきた。
::: 京子に頼まれ清太と節子を預かり当初は好意的に接していたが、帰りを待っていた源造が戦死し清太達が持ってきた食料を自分の子供たちに与える為諍いが絶えなくなっていき、なつには「鬼」と比喩された。
::: 冒頭の2005年(現代)では95歳で大往生を迎え死去し、遺体は火葬場に火葬され、なつ達に遺骨を拾われた。
:::* 澤野 源造 - [[伊原剛志]]
:::: 久子の夫、大工。
::: 疎開先で[[赤紙]]が届き、1943年夏、「必ず生きて帰ってくる」と家族に伝え出征。その後、1945年にソルモン諸島の[[ルバング島]]で[[玉砕]]し、利之により戦死通告が届く。
:::* 澤野 なつ - [[井上真央]]
:::: 久子の長女。
::: 清太と節子死後、形見であるドロップの缶は60年後まで所持する事になる。
:::* 澤野 善衛 - [[要潤]]
:::: 源造の末弟で足が悪く杖を使用している。
::: 戦争終了後、老人に絡まれている清太を助けた後、久子に貯金を取り上げられそのまま家を後にする。
:::* 澤野 はな - [[福田麻由子]]
:::: 久子の次女。
:::* 澤野 ゆき - [[飯原成美]](老年期:[[喜多道枝]])
:::: 久子の三女。
:::* 澤野 貞造 - [[堀江晶太]](老年期:[[久保晶]])
:::: 久子の長男。
:::
::; 町の人々
:::* 吉岡 利之 - [[生瀬勝久]]
:::: 町の[[日本の警察官|駐在]]。
::: 澤野源蔵の出征の際の行事に参加した他、戦死通告を久子に届けた。よろず屋の主人に殴られ警察に連れて行かれた清太を久子に引き渡した。清太達が2人で生活していると聞くと「戦争中に子供2人だけで生きていくなんて無理やで」と驚いていた。
:::* 大林町会長 - [[織本順吉]]
:::: 避難先の小学校で、清太を重傷を負った母親の元に案内し、指輪を渡した。
:::* 米屋の親父 - [[高松英郎]]
:::: 配給された米を1人1人配っているが久子は澤野家では6人(清太、節子を預かってからは8人)分必要なためこれだけでは足りないと言うため度々口論になり、そんなに欲しいのなら闇米を買うしかないと勧めている。
:::* 農夫 - [[不破万作 (俳優)|不破万作]]
:::: 清太と節子に食べ物を分けるのを拒否したため、清太に食べ物を奪われた。
:::* 松井 栄作 - [[段田安則]]
:::: よろず屋の主人。澤野源蔵の出征の際には本編の1943年夏以前に海軍で戦死した息子を思い出し泣いていた。
:::: 自分で飯を作ることになった清太に金額を負け、「何があったか知らんけど意地をはったらあかんで」と励ました。上記のように戦死した息子が海軍であったため、海軍大佐を父に持つ清太が自分の店に盗みに入った時には、情けなさのあまり自分の手も怪我をするほど殴りつけた。戦争終了後、現れた清太に素子とともに呆れるも、節子に食べ物を食べさせるため土下座され、卵と米を渡している。
:::* 松井 素子 - [[岡本麗]]
:::: 栄作の妻。
::: 源蔵の出征の席で泣き出した栄作を叱責し、「あの子は[[昭和天皇|天皇陛下]]のために死んだんや」と息子の死を受け入れていた。久子に清太が中学生なのに勤労動員や隣組の消火活動にも参加しないことに疑問を投げかけた。
:::
::; 現代
:::* 光村 なつ - [[岸惠子]]
:::: 60年後のなつ。清太と節子の形見であるドロップの缶を持っていた。
:::* 光村 恵子 - 井上真央(少女時代のなつと二役)
:::: なつの孫かつ久子のひ孫。高校生。少女時代のなつと瓜二つ。
:::
::; その他
:::* [[小倉一郎]]、[[松澤一之]]、[[山西惇]]、[[春海四方]]、[[ト字たかお]]、[[本多晋]]、[[西尾由佳理]](当時・日本テレビアナウンサー)
:::: 松澤演じる駅員はアニメ映画と同様、清太が持つ節子の遺骨が入ったドロップの缶を放り投げた後、久子に拾われた。
 
=== スタッフ(ドラマ) ===
 
* 原作 - [[野坂昭如]](『アメリカひじき・火垂るの墓』 [[新潮文庫]]刊)
* 脚本 - [[井上由美子 (脚本家)|井上由美子]]
* 演出 - [[佐藤東弥]]
* 音楽 - [[沢田完]]
* エンディングテーマ - [[Bank Band]]「[[toTo U|生まれ来る子供たちのために]]」
* サウンドプロデューサー - [[志田博英]]
* 特殊メイク - [[百武朋]]
572 ⟶ 573行目:
 
=== 撮影協力 ===
 
* [[兵庫県]][[神戸市]]
** [[兵庫県立神戸高等学校]](神戸市[[灘区]])
588 ⟶ 590行目:
 
=== 外部リンク ===
 
* [https://www.ntv.co.jp/hotaru/ 終戦60年スペシャルドラマ「火垂るの墓 -ほたるのはか-」 - 日本テレビ]
 
== 実写映画 ==
{{Infobox Film
| 作品名 = 火垂るの墓
| 原題 =
| 画像 =
| 画像サイズ =
| 画像解説 =
| 監督 = [[日向寺太郎]]
| 脚本 = [[西岡琢也]]
| 原案 =
| 原作 = [[野坂昭如]]
| 製作 =
| 製作総指揮 =
| ナレーター =
| 出演者 = [[吉武怜朗]]<br />[[畠山彩奈]]
| 音楽 =
| 主題歌 =
| 撮影 = [[川上皓市]]
| 編集 = [[川島章正]]
| 制作会社 =
| 製作会社 =
| 配給 = [[パル企画]]
| 公開 = {{flagicon|JPN}} 2008年7月5日
| 上映時間 = 100分
| 製作国 = {{JPN}}
| 言語 = [[日本語]]
| 製作費 =
| 興行収入 =
| 前作 =
| 興行収入 =
| 製作費 =
| 言語 = [[日本語]]
| 製作国 = {{JPN}}
| 上映時間 = 100分
| 公開 = {{flagicon|JPN}} 2008年7月5日
| 配給 = [[パル企画]]
| 製作会社 =
| 制作会社 =
| 編集 = [[川島章正]]
| 主題歌 =
| 原題 =
| 音楽 =
| 出演者 = [[吉武怜朗]]<br />[[畠山彩奈]]
| ナレーター =
| 製作総指揮 =
| 製作 =
| 原作 = [[野坂昭如]]
| 原案 =
| 脚本 = [[西岡琢也]]
| 監督 = [[日向寺太郎]]
| 画像解説 =
| 画像サイズ =
| 画像 =
| 次作 =
}}原作者の野坂によると、アニメ映画製作の段階までに何度か実写映画化の企画は存在した<nowiki><ref name="anime">野坂昭如「アニメ恐るべし」(アニメ映画版パンフレットに収録)</nowiki>
}}
編集
原作者の野坂によると、アニメ映画製作の段階までに何度か実写映画化の企画は存在した<ref name="anime">野坂昭如「アニメ恐るべし」(アニメ映画版パンフレットに収録)</ref>。もっとも具体的だったのは、[[KKベストセラーズ]]創業者の[[岩瀬順三]]によるものだった<ref name="anime"/>。岩瀬は、アメリカ・[[アリゾナ州]]に戦災を受ける前の神戸の街を再現し、アメリカで保存されている飛行可能な[[B-29 (航空機)|B-29]]から実際に焼夷弾を投下、出演者には[[断食]]をさせて栄養失調を再現するといった壮大なプランを描き、野坂自身も取材をかねてB-29に乗りに行ったりしたが、実現することなく岩瀬は亡くなった<ref name="anime"/>。
 
削除
 
原作者の野坂によると、アニメ映画製作の段階までに何度か実写映画化の企画は存在した<ref name="anime">野坂昭如「アニメ恐るべし」(アニメ映画版パンフレットに収録)</ref>。::もっとも具体的だったのは、[[KKベストセラーズ]]創業者の[[岩瀬順三]]によるものだった<ref name="anime" />。岩瀬は、アメリカ・[[アリゾナ州]]に戦災を受ける前の神戸の街を再現し、アメリカで保存されている飛行可能な[[B-29 (航空機)|B-29]]から実際に焼夷弾を投下、出演者には[[断食]]をさせて栄養失調を再現するといった壮大なプランを描き、野坂自身も取材をかねてB-29に乗りに行ったりしたが、実現することなく岩瀬は亡くなった<ref name="anime" />。
 
その後、2000年代になって改めて実写企画が発足し、[[2008年]](平成20年)[[7月5日]]に公開された。[[黒木和雄]]監督により企画が進行していたが、黒木の死去により、黒木を師と仰ぐ[[日向寺太郎]]が監督となった。叔母役の[[松坂慶子]]は事実上の悪役ということから一度はオファーを断ったと告白している。