「田辺福麻呂」の版間の差分

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'''田辺 福麻呂'''(たなべ/たのべ<ref>小学館『萬葉集』六p11注四より</ref> の さきまろ、[[生没年不詳]])は、[[奈良時代]]の下級[[官人]]。万葉[[歌人]]。[[カバネ|姓]]は[[史 (姓)|史]](ふひと)。
== 経歴 ==
 
[[田辺氏]](田辺史)は[[百済]]系[[渡来人|渡来]]氏族で、[[西文氏]]のもとで文筆・記録の職掌についた史部の一族と想定される<ref>佐伯有清編『日本古代氏族事典』雄山閣出版、1994年</ref>。
 
[[748年]]([[天平]]20年)、[[造酒司]]の[[主典|令史]]のとき、[[橘諸兄]]の使者として[[越中国|越中]][[国司|守]]・[[大伴家持]]のもとを訪れ、ここに新しき歌を作り、幷せ便ち古詠を誦(よ)み、各(おのもおのも)心緒(おもひ)を延ぶ」とある。福麻呂の和歌作品は『[[万葉集]]』に44首が収められている。巻18に[[短歌]]13首があり、巻6・巻9にある[[長歌]]10首とその[[反歌]]21首は「田辺福麻呂の歌集に出づ」とある。それらの歌は用字・作風などから福麻呂の作と見られている。
 
[[鹿持雅澄]]の『万葉集古義』によると、「[[契沖]]、福麻呂は[[田辺難波|難波]]が子などにもや有けむ。(略)左大臣の家令なるべしと云り」とある。
 
== 脚注 ==
{{Reflist}}
== 参考文献 ==
*『日本古代人名辞典』4 - p1019、[[竹内理三]]・[[山田英雄]]・[[平野邦雄]]編、[[吉川弘文館]]、1959年
* 『萬葉集』(二)完訳日本の古典3、[[小学館]]、1983年
* 『萬葉集』(三)完訳日本の古典4、[[小学館]]、1984年
* 『萬葉集』(六)完訳日本の古典7、[[小学館]]、1987年
 
== 関連項目 ==
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{{writer-stub}}
{{DEFAULTSORT:たなへ の さきまろ}}
[[Category:田辺氏|さきまろ]]
[[Category:万葉歌人]]
[[Category:奈良時代の人物]]