削除された内容 追加された内容
編集の要約なし
タグ: 2017年版ソースエディター
Kahmain (会話 | 投稿記録)
貨幣の歴史は貨幣史に書くべきで出典がないため削除、貨幣学の項目のため貨幣学の成立の経緯を加筆
1行目:
{{複数の問題
{{国際化|date=2018年9月|日本}}
{{| 出典の明記|date = 2012年1月|ソートキー=学}}
| 独自研究 = 2021年2月
}}
[[File:Assorted United States coins.jpg|thumb|right|250px|様々な硬貨]]
[[File:Wadogin.jpg|thumb|right|180px|和同開珎銀銭]]
[[File:Gold_koban_050918_163404.jpg|thumb|right|200px|[[慶長小判#武蔵墨書小判|武蔵墨書小判]]]]
'''貨幣学'''(かへいがく、[[ギリシャ語]]:{{lang|el|νομισματική}}、[[英語]]:numismatics)は[[貨幣]]とその形態史に関する科学的研究の総称。日本語では貨幣学の他、'''古銭学'''、'''古泉学'''、'''銭貨学'''等と呼ばれるが、[[日本銀行金融研究所]]の金融研究会などではもっぱら貨幣学と呼称している。
 
9 ⟶ 13行目:
厳密には、貨幣使用とその発展の経済的・歴史的研究と、貨幣の物理的具体化に関する貨幣学研究とは別個のものとして考えられる。具体的な例を挙げれば、貨幣の起源について述べた経済学的な理論は貨幣学によるもので、分野は関連しているが似て非なるものである。
 
== 貨幣学の歴史 ==
歴史学で最初に貨幣史を取り上げたのはブローデルで、著書『地中海』で16世紀の地中海地域の価格メカニズム形成史について述べている<ref name="nashiro">[http://www2.ngu.ac.jp/uri/syakai/pdf/syakai_vol5502_05.pdf 名城邦夫「ヨーロッパ古代中世貨幣史- カール大帝の貨幣改革まで -」] 名古屋学院大学論集社会科学篇第55巻第2号 pp. 97-130、2021年3月1日閲覧。</ref>。さらに貨幣の研究は貨幣を骨董品として評価するためのカタログ作成のための研究が盛んに行われていたが、ドイツ人歴史家ロルフ・シュプランデルは博物館や図書館の貨幣室が所蔵する貨幣を分析研究する方法を確立し、ヌミスマティクス研究「貨幣学」が学問として確立するきっかけになった<ref name="nashiro" />。
=== 起源 ===
貨幣学は一つの古代学問であり、その歴史は史上初の貨幣学についての本を書き記したとされる、[[ガイウス・ユリウス・カエサル|ユリウス・カエサル]](ジュリアス・シーザー)に遡る事ができる。また貨幣学は硬貨に関した歴史、地理、経済、[[金属工学]]、使用、そしてその製造過程など、多数の異なった側面からの研究が含まれる。
 
=== 日本の貨幣学の歴史 ===
[[File:Wadogin.jpg|thumb|right|180px|和同開珎銀銭]]
日本では貨幣学は[[古銭]]の収集や研究としての意味合いが比較的強い。日本において古銭の歴史は古く、[[中国]]の[[古文銭]]にその期限を辿る事ができる。[[621年]]当時[[唐]]の時代であった中国の[[李淵|高祖]]によって[[青銅]]を使用して[[鋳造]]され、やがてそれは[[遣唐使]]によって日本に伝わることとなる。[[708年]]に日本で初めて鋳造されたとされる[[和同開珎]]が日本における事実上最初の古銭の始まりとなった。以来、和同開珎を始めとする[[皇朝十二銭]]が[[平安時代]]にかけて政府によって造られるが、その後は中国との[[日宋貿易]]を経て、[[宋銭]]が、後には[[日明貿易|勘合貿易]]で[[永楽通宝]]などの[[明銭]]が大量に輸入され、[[渡来銭]]が貨幣として流通した。それに伴い、日本では独自の貨幣鋳造は行われることがなくなった。[[後醍醐天皇]]が新貨幣鋳造を計画をしたが、[[建武の新政|建武政権]]崩壊で水泡に帰した。また、中世には、国家による貨幣鋳造が行われなくなった代わりに、私に貨幣を鋳造する者が多く出た。それらは、真銭を型に鋳型を造り、真銭より質の悪い銅を原料に大量に鋳造する。これらの貨幣を[[私鋳銭]]([[模鋳銭]])と呼ぶ。これら私鋳銭は、銭影も不鮮明で、素材も劣悪なため、市場では[[鐚銭]](びたせん)と呼ばれて嫌われた。しかし、中世に発展した貨幣経済に対する市場に流通する貨幣は少なく、これら私鋳銭の量は時代を経るごとに多くなる。市場を安定化するために、地方政権である[[戦国大名]]はたびたび[[撰銭令]]を出して私鋳銭も通貨として流通させようとしたり、[[甲州金]]などの地方に限定された通貨を鋳造したが、成果は上がらなかった。
 
[[File:Gold_koban_050918_163404.jpg|thumb|right|200px|[[慶長小判#武蔵墨書小判|武蔵墨書小判]]]]
その後、統一政権である[[豊臣秀吉]]が[[天正大判]]を鋳造させたが、一般流通用というより、恩賞の意味が大きかった。[[貨幣制度]]を整備するまもなく、豊臣政権は崩壊し、[[江戸幕府]]によって本格的な貨幣制度が整備された。幕府は[[小判]]や[[丁銀]]をはじめとする様々な種類の[[金貨]]、[[銀貨]]を流通させるとともに、[[銭貨]]として[[寛永通宝]]を鋳造した。それまでの渡来銭を完全に駆逐できるだけの質と量の貨幣を鋳造できた。また、地方における[[藩札]]、更に[[幕末]]期にかけて[[丁銀]]、[[豆板銀]]、[[一分銀]]や[[小判]]等が流通し始める。[[日露戦争]]が始まった頃から、軍事用途として使用された[[軍票]]などの紙幣が見られたが、その後の[[第二次世界大戦]]では軍資金重視の為、硬貨に[[アルミ]]や銅などの極めて安価な素材が使用されるようになり、戦争の歴史を色濃く浮き立たせている。[[1964年]]の[[1964年東京オリンピック|東京オリンピック]]より[[記念硬貨]]の発行が行われるようになり、その後[[天皇]]の即位、成婚や国際[[博覧会]]の開催を記念したものなどが発行されている。
 
近年では[[奈良県]]他で[[1999年]]に多数発見され、日本最古の貨幣ではないかと物議を醸した[[富本銭]]の存在や、[[日本書紀]]中の[[無文銀銭]]についての記述など、古銭の歴史に関しては研究が続けられている。[[2000年]]には[[ミレニアム]]を記念して[[2000円紙幣]]を発行したが、[[自動販売機]]や[[現金自動預け払い機|ATM]]などの新紙幣への対応が間に合わなかったことや、際立った必要性の無さなどから多くの批判が噴出した。さらにその後、[[複合機]]などの[[デジタル]]技術の進歩に伴い、紙幣の模造が比較的容易になったため、[[偽札]]の製造が相次いだ。そのため、最先端の偽造防止技術を駆使した新[[500円硬貨]]が[[2000年]]に、1000円、5000円、10000円の各新紙幣が[[2004年]]に発行開始されるなどした。この新たな5000円紙幣の肖像には[[樋口一葉]]が描かれ、日本の紙幣史上において2人目の女性となった。しかしながら既に新500円硬貨の偽造硬貨が一部で出回るなどし、政府の新たな技術進歩への対策を定期的に差し迫られる状況は依然続くと見られる。一方でデジタル技術の波及は貨幣のあり方そのものを変化させており、[[Edy]]などを始めとする[[おサイフケータイ]]、[[電子マネー]]などの新たな貨幣形態は経済学的な側面からの研究も進められている。
 
== 貨幣学者 ==
32 ⟶ 26行目:
多くのプロの貨幣学者は商用目的で硬貨の証明・格付けを行っている。硬貨のコレクションをプロの貨幣業者に売却したりまたは彼らから購入することは貨幣の研究をより前進させることであり、熟練した貨幣学者ともなれば[[歴史学者]]、博物館の[[学芸員]]、そして[[考古学者]]から助言を得る者もいる。[[File:Ko-kaneitsuho.jpg|thumb|right|180px|寛永通寳]]
[[File:1000yenS39Olympic.jpg|thumb|right|180px|東京五輪千円銀貨]]
 
=== 起源出典 ===
<references />
 
== 関連項目 ==