削除された内容 追加された内容
出身校を追加
6行目:
 
== 略歴 ==
[[ヴェネチア]]に生まれる。最初[[ローマ]]の[[サンタ・チェチーリア音楽院]]<ref>{{Cite web|title=ALUMNI|url=https://www.conservatoriosantacecilia.it/alumni/|website=Conservatorio di Musica Santa Cecilia - Roma|accessdate=2021-03-04|language=it-IT}}</ref>で[[ピアノ]]、[[ヴァイオリン]]、[[指揮]]、[[作曲]]を学んだ後、故郷の音楽院で[[ジャン・フランチェスコ・マリピエロ]]に作曲を[[ヘルマン・シェルヘン]]に指揮を師事。指揮は[[1955年]]に[[ルチアーノ・ベリオ]]とともに、[[RAI|イタリア国営放送]]に音響学スタジオを設置したときに、指揮者としても活躍し、オペラや伝統的な管弦楽曲を指揮し、一部は放送録音も残した。当時はまだ[[古楽]]演奏に対する認識も薄く、「モダン楽器のために」[[ヨハン・ゼバスティアン・バッハ|バッハ]]以前の作曲家の編作を残していることでも知られる。教育者としての弟子は[[ルイジ・ノーノ]]がいる。[[ダルムシュタット]]にて没。
 
== 作風 ==
28行目:
前述のオペラ完成後またしてもオペラの委嘱が舞い込んでおり、これにも「サテュリコン」で答えた彼は多忙が祟って肺がんで急逝してしまう。全楽器を投入したトゥッティが聞き物であった彼も、「クヮドリヴィウム」や「オーボエ協奏曲第三番」ではぽつぽつと響きのない短い音が支配的になるシーンがあり、晩年に入っても更なる作風の展開が予想された矢先の死であった。
 
== 外部リンク脚注 ==
<references />
== リンク ==
* [http://www5b.biglobe.ne.jp/~coucou/disco1j.html ブルーノ・マデルナ・ディスコグラフィ I. 作曲編]
* [http://www5b.biglobe.ne.jp/~coucou/disco2j.html ブルーノ・マデルナ・ディスコグラフィ II. 指揮編]
37 ⟶ 39行目:
[[Category:現代音楽の作曲家]]
[[Category:イタリアの指揮者]]
[[Category:サンタ・チェチーリア音楽院出身の人物]]
[[Category:ヴェネツィア出身の人物]]
[[Category:肺癌で亡くなった人物]]