「タオスの反乱」の版間の差分

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==合衆国の対応==
 
合衆国は、反乱の鎮圧のため即座に動いた。ジェシー・I・モリン大尉による[[{{ill2|モラの戦い]]|en|First Battle of Mora}}で反乱者が敗れるまでの間、プライス大佐率いる300名以上の米軍が、ベント知事のビジネスパートナーの[[セラン・セント・ブライン]]が組織したおよそ65名の志願兵(数名のニューメキシコ人を含む)と共に、サンタフェからタオスに向かった。途中、[[カニャダの戦い]]と[[エンブド峠の戦い]]([[w:Battle of Embudo Pass]])において1,500名のメキシコ人とインディアンを打ち負かした。暴徒らは[[タオス・プエブロ]]に撤退し、そこで分厚い壁の[[アドベ]]の教会に籠城した。教会への集中砲火によって、150名の反乱者が殺され、400名以上が捕らえられた。
 
プライスは[[戒厳令]]の下、タオスに裁判所を設置し、捕らえた暴徒を裁判にかけた。裁判は15日間行われ、15名に殺人罪と反逆罪で死刑の判決を下した。4月9日、6名の告発された暴徒はタオスのプラザで絞首刑に処され、2週間後には別の5名が処刑された。一年後アメリカ合衆国最高裁判所は、この判決に同意した。他のすべての有罪判決は控訴審を棄却され、全部で少なくとも28名がタオスで処刑された。