「ジェームズ1世 (イングランド王)」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
編集の要約なし
タグ: サイズの大幅な増減
m編集の要約なし
タグ: Refタグつき記述の除去
114行目:
スペインとの和睦に関係して、海軍の弱体化を招いたことは威信の失墜に繋がり、平和主義に則りスペインを苦しめた私掠船の禁止と、財政難のため海軍費用を削減して艦隊整備を怠り、水兵のリストラなど軍縮を行う一方、王立艦隊をイングランド周辺海域の警戒に当たらせた。しかし衰微した海軍では任務が失敗することが多く、[[イギリス海峡]]を渡る外国船は旗を降ろさず、外国船が海域に侵入し船を襲うこともあった。[[北アフリカ]]から[[バルバリア海賊]]も侵入、船の略奪・誘拐が続いても海軍は手も足も出ず、[[1620年]]から1621年にかけて敢行された[[アルジェ]]遠征も失敗、ジェームズ1世の理想主義的平和政策が海上で失敗したことが明らかになった。歴史家[[ジョージ・マコーリー・トレヴェリアン]]はジェームズ1世が海軍を無視したことを厳しく批判している{{sfn|ジョージ・マコーリー・トレヴェリアン|大野真弓|1974|p=118-119}}{{sfn|小林幸雄|2007|p=129-134}}。
 
1613年、娘エリザベスを[[ライン宮中伯|プファルツ選帝侯]][[フリードリヒ5世 (プファルツ選帝侯)|フリードリヒ5世]]と政略結婚させた。イングランドと[[ネーデルラント連邦共和国|オランダ共和国]]・プファルツを結ぶプロテスタントの連携を目指したもので、「[[テムズ川]]と[[ライン川]]の合流」とまで言われる<!--<ref>{{Cite websfn|url=https://en.wikipedia.org/wiki/Elizabeth_Stuart,_Queen_of_Bohemia宮本絢子|title=elizabeth stuart|accessdate=2020.06.031999|publisherp=英語版ウィキペディア61}}</ref>-->。平和主義者のジェームズ1世はカトリックとプロテスタントの対立を和解させる調停者の立場を目指し、エリザベスの結婚と合わせて次男チャールズとスペイン王女との結婚も画策していた。また財政難で軍を集められないという事情もあり(議会の同意が簡単に得られないため戦費を調達し辛い)、1616年頃からスペインとの調停を行い、後に[[三十年戦争]]でフリードリヒ5世が危機に陥っても援助しなかった{{#tag:ref|エリザベスとフリードリヒ5世の結婚はジェームズ1世の目論見とは違い、ドイツの[[プロテスタント同盟]]にイングランドの後ろ盾を得たと思い込ませ、三十年戦争へ突入する皮肉な展開になった。フリードリヒ5世は舅の援助を当てにして戦争に参戦したが、ジェームズ1世には前述の通り援助が難しいため、援助を受けられず戦争に敗れて亡命する羽目になった{{sfn|今井宏|1990|p=160}}。|group=注釈}}{{sfn|今井宏|1990|p=159-160}}{{sfn|岩井淳|2015|p=28-30}}。
 
==== 財政の逼迫と議会との関係悪化 ====
242行目:
* [[ナイジェル・トランター]]著、[[杉本優]]訳『スコットランド物語』大修館書店、1997年。
* [[度会好一]]『魔女幻想 <small>呪術から読み解くヨーロッパ</small>』中央公論新社([[中公新書]])、1999年。
* 宮本絢子『ヴェルサイユの異端公妃 <small>リーゼロッテ・フォン・デァ・プファルツの生涯</small>』[[鳥影社]]、1999年。
* {{Cite book|和書|author=[[青木道彦]]|date=2000年|title=エリザベス一世 大英帝国の幕開け|series=[[講談社現代新書]]1486|publisher=[[講談社]]|isbn=978-4120040290|ref=青木(2000)}}
* {{Cite book|和書|author1=[[松村赳]] |author2=[[富田虎男]]|date=2000年|title=英米史辞典|publisher=研究社|isbn=978-4767430478|ref=harv}}