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[[1987年]]に国鉄が分割民営化される際に、JR東海の初代代表取締役社長としてニュースで名前が挙げられたが、分割に反対していたため国鉄からの辞職を想定しており、就任要請に戸惑いを感じたという<ref name="yomiuri_20000821"/>。
 
JR発足直後の1987年6月には、同年[[中日ドラゴンズ]]の監督に[[星野仙一]]が就任し、同チームの強化策として[[落合博満]]が1対34の交換トレードで入団したことから、[[ナゴヤ球場]]への観客が大幅に増えたことを受け、同球場の近くを走る[[日本貨物鉄道]](JR貨物)が線路を保有する[[名古屋港線]]の[[鉄道事業者#第二種鉄道事業|第二種鉄道事業]]免許を取得、同線に臨時駅の[[ナゴヤ球場正門前駅]]を設置してのJR東海による旅客列車の運行を決定し、翌7月1日に開業している<ref name="yomiuri_20000821"/>。民営化の効果で迅速な決定が可能になったことなどを喜び、開業時には初列車で同駅に行き一晩中乗客への対応に当たったという<ref name="yomiuri_20000821"/>。
 
[[東海道新幹線]]の維持・管理費用を負担しながら[[減価償却|減価償却費]]が計上できないことや、貸付期間終了後の譲渡が有償か無償か未定なため債務が確定できないことなどを理由に[[新幹線鉄道保有機構]]からの買取を求め、法整備によって[[1991年]]にJR東海の自己保有資産となった<ref name="yomiuri_20000821"/>。