「三県一局時代」の版間の差分

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1882年2月8日廃使置県によって成立、1886年1月26日廃県置庁によって廃止された北海道函館県札幌県根室県の3県。
 
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だが、開拓を巡って3県と北海道事業管理局の方針の足並みを揃える事が出来ず、加えて[[松方財政]]の影響による不況によって財政収入が伸び悩み、却って開拓の障害となった。また、当時(1886年)の北海道全域の人口は26万5千人に過ぎず、うち半数以上にあたる15万1千人が[[松前藩]]時代以来の集住地域である函館県に集中し、逆に極寒の未開拓地が大半を占める根室県はわずか1万7千人に過ぎないと言う不均衡の問題が生じていた。そこで[[参議]][[伊藤博文]]は[[1885年]]に[[太政官]][[内閣官房長官#内閣書記官長(帝国憲法時代)|大書記官]][[金子堅太郎]]を北海道に派遣した。70日余りの視察を終えて帰京した金子は現行の3県体制が機能していないことを報告した。
 
この報告を受ける形で1886年1月26日、3県及び北海道事業管理局を統廃合して[[内務省]]管轄の北海道庁に移行する'''廃県置庁'''が行われることになり、3県はその役目を終えた。なお、旧函館県及び根室県の組織はそのまま北海道庁函館支庁及び根室支庁として、[[1890年]][[11月5日]]の[[支庁制]]移行まで継続される事になった。
 
[[Category:北海道|はこたてけん・さつほろけん・ねむろけん]]