「嶋崎譲」の版間の差分

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[[1969年]](昭和44年)、社会党執行部から求められて九州大学教授を辞職し、[[石川県第1区 (中選挙区)|旧石川1区]]から[[第32回衆議院議員総選挙|第32回総選挙]]に立候補するが落選。[[1972年]](昭和47年)、[[第33回衆議院議員総選挙|第33回総選挙]]で初当選する。その後太田派社会主義協会を離れ、[[社会党右派|右派グループ]]で活動。
 
[[1989年]](平成元年)[[7月]]、韓国の民主化運動で逮捕された[[在日韓国人]][[政治犯]]29名の釈放を嘆願するという趣旨の要望書が、当時の自身含む[[日本社会党]]・[[公明党]]・[[社会民主連合]]・[[無所属]]の議員有志133名の[[署名]]とともに韓国政府へ提出された。このとき釈放要望対象となった政治犯29名の中に[[辛光洙]]や拉致[[共犯]]者とされるKなど北朝鮮スパイの名が複数含まれていたことが判明し、[[金正日]]が[[北朝鮮による日本人拉致問題|北朝鮮による日本人拉致実行]]を認めた[[2002年]]9月以降、同年[[10月19日]]に当時[[内閣官房副長官|官房副長官]]であった[[安倍晋三]]が[[土井たか子]]・[[菅直人]]を名指しで「極めてマヌケな議員」と評するなど、署名した[[国会議員]]は[[保守]][[政治家]]や[[民社党]]継承政治団体[[民社協会]]、[[日本共産党]]から激しく批判された。
 
[[1995年]](平成7年)、社会党を離党(翌年、党名改称した[[社会民主党 (日本 1996-)|社会民主党]]から除籍処分)し、[[市民リーグ]]を経て[[民主党 (日本 1996-1998)|旧民主党]]結成に参画。