「日本の多目的ダム一覧」の版間の差分

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[[広島県]]において最初に建設された多目的ダムは利水専用では[[1917年]](大正6年)に旧海軍によって建設された'''[[本庄ダム]]'''([[二河川 (広島県)|二河川]])、河水統制事業としては[[1942年]](昭和17年)に完成した'''[[二級ダム]]'''([[黒瀬川]])であるが、これらは[[呉鎮守府]]や[[呉海軍工廠]]への利水を目的として建設されており、広島県の多目的ダム事業は軍事都市であった[[呉市]]を舞台に始まった。戦後河川総合開発事業による多目的ダム計画がまず江の川水系で始まり、[[土師ダム]](江の川)など4ダムが計画され1973年土師ダムが完成。2006年には[[灰塚ダム]](上下川)も完成する。一方[[県都]]・[[広島市]]を流れる[[太田川]]では[[太田川放水路]]が既に建設されていたが1972年7月梅雨前線豪雨による被害を機に'''太田川水系工事実施基本計画'''が1974年に建設省によって策定され、支流の滝山川に[[温井ダム]]が2001年完成する。治水事業の一方で中国地方最大の都市として急成長する広島市の水需要がひっ迫したことから、江の川の土師ダムより中国電力可部発電所を経て太田川に導水、[[高瀬堰]](太田川)より広島市などに上水道や工業用水道を供給する太田川総合開発事業が建設省によって実施された。県東部の[[芦田川]]水系では[[福山市]]など備後工業整備特別地域への工業用水・上水道供給を目的に1959年[[三川ダム]]、1980年[[芦田川河口堰]]、1997年[[八田原ダム]]が本流に完成する。県西部の山口県境を流れる[[小瀬川]]では1964年に[[小瀬川ダム]]、1990年に[[弥栄ダム]]が完成。[[沼田川]]などの二級河川では1968年の椋梨ダム(椋梨川)を皮切りに多くの多目的ダムが建設され、[[芸予諸島]]では[[江田島]]に海軍が建設した三高ダム(木下川)を再開発して多目的ダムとしている。
 
県内最大の多目的ダムは高さでは'''温井ダム'''、総貯水容量では'''弥栄ダム'''がそれぞれ最大。このうち温井ダムはアーチダムとして日本で2番目の高さをもち、補償交渉における地域活性化策の成功により50万人の観光客を集める一大観光地に成長した<ref>[http://damnet.or.jp/cgi-bin/binranB/TPage.cgi?id=233 『ダム便覧』文献にみる補償の精神【1】温井ダム]</ref>。本庄ダムは「本庄水源地堰堤水道施設」として'''国の[[重要文化財]]に指定されている'''。一方強固な反対運動により灰塚ダムでは計画発表から完成まで32年、八田原ダムでは24年と事業が長期化している。また高瀬堰では太田川を遡上する[[アユ]]への影響が太田川[[漁業協同組合]]などより指摘され、改善策が行われている<ref>『高瀬堰定期報告書』2006年。</ref>。建設中のダムは庄原ダム(大戸川)のみである存在しない。中止したダム事業としては江の川総合開発計画の一環であった木屋原ダム(西城川)<ref>『河川総合開発調査実績概要』第一巻p89-95。</ref>があり、温井ダムと共に計画されていた吉和郷ダム(太田川)は事実上立ち消えとなっている<ref>『太田川水系工事実施基本計画』1974年。</ref>。
 
なお小瀬川ダムは隣接する山口県との間で水利権調整が付かず、建設省に施工を委託し完成後は山口県との共同管理体制を採っている<ref>『日本の多目的ダム 1963年版』p270。</ref>。また八田原ダム建設に伴い中国電力宇津戸川ダムが水没している<ref>[http://damnet.or.jp/cgi-bin/binranA/All.cgi?db4=1997 『ダム便覧』八田原ダム]</ref>。
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|一級||[[小瀬川]]||小瀬川||[[小瀬川ダム]]||補助||align="left"|F・I||重力||align="right"|49.0||align="right"|11,400||広島県<br/>山口県||1964||建設省施工
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|-style="background-color:#dfa;"
|一級||江の川||大戸川||庄原ダム||補助||align="left"|F・N・W||重力||align="right"|42.0||align="right"|701||広島県||2016||工事中
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