「ヘンリー・ハワード (初代ノーサンプトン伯)」の版間の差分

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== 経歴 ==
[[1540年]][[2月25日]]、[[サリー伯爵]]([[儀礼称号]])[[ヘンリー・ハワード (サリー伯)|ヘンリー・ハワード]](第3代[[ノーフォーク公]][[トマス・ハワード (第3代ノーフォーク公)|トマス・ハワード]]の嫡男)とその夫人{{仮リンク|フランセス・ハワード (サリー伯爵夫人)|label=フランセス|en|Frances Howard, Countess of Surrey}}(旧姓ド・ヴィアー。第15代[[オックスフォード伯爵]]{{仮リンク|ジョン・ド・ヴィアー (第15代オックスフォード伯)|label=ジョン・ド・ヴィアー|en|John de Vere, 15th Earl of Oxford}}の娘)の間の次男として[[ノーフォーク]]・{{仮リンク|ショットシャム|en|Shotesham}}に生まれる<ref name="thepeerage.com">{{Cite web |url=http://thepeerage.com/p10300.htm#i103000 |title=Henry Howard, 1st Earl of Northampton|accessdate= 2015-12-3 |last= Lundy |first= Darryl |work= [http://thepeerage.com/ thepeerage.com] |language= 英語 }}</ref>。兄に第4代ノーフォーク公位を継承する[[トマス・ハワード (第4代ノーフォーク公)|トマス・ハワード]]がいるが、この兄は[[1572年]]に処刑・爵位剥奪された<ref name = DNB>{{Cite DNB|wstitle=Howard, Henry, Earl of Northampton}}</ref>。
 
[[ケンブリッジ大学]]の[[キングス・カレッジ (ケンブリッジ大学)|キングス・カレッジ]]や{{仮リンク|トリニティ・ホール (ケンブリッジ大学)|label=トリニティ・ホール|en|Trinity Hall, Cambridge}}で学ぶ<ref name="thepeerage.com"/>。
[[1612年]]に大蔵卿初代[[ソールズベリー伯爵]][[ロバート・セシル (初代ソールズベリー伯)|ロバート・セシル]]が死去すると大蔵卿のポストは空席となり、委員会制になったが、ノーサンプトン伯がその{{仮リンク|大蔵卿 (イングランド)|label=第一卿|en|List of Lord High Treasurers of England and Great Britain}}として実質的な後任となった。ロンドンの商人{{仮リンク|ライオネル・クランフィールド (初代ミドルセックス伯爵)|label=ライオネル・クランフィールド|en|Lionel Cranfield, 1st Earl of Middlesex}}を抜擢して財政改革にあたらせた{{sfn|今井宏(編)|1990|p=155}}。
 
しかしカトリックだったノーサンプトン伯は、{{仮リンク|国王秘書長官 (イングランド)|label=国王秘書長官|en|Secretary of State (England)}}{{仮リンク|ラルフ・ウィンウッド|en|Ralph Winwood}}や{{仮リンク|侍従宮内 (イギリス)|label=侍従宮内|en|Lord Chamberlain}}[[ペンブルック伯]][[ウィリアム・ハーバート (第3代ペンブルック伯爵)|ウィリアム・ハーバート]]ら宮中内の[[プロテスタント]]勢力との対立を深めた{{sfn|今井宏(編)|1990|p=162}}。1614年の議会が2ヶ月で解散になったのはこの派閥抗争が原因であり、かつてノーサンプトン伯を称賛したベーコンからは宮廷と議会に分裂をもたらしたとして名指しで非難された。ただし、死期が迫ったノーサンプトン伯は影響力が低下していたとの指摘もある{{sfn|木村俊道|2003|p=227-229,248}}。
 
[[1613年]]には親族([[続柄#傍系卑属|大姪]])の[[サマセット公|サマセット伯]][[ロバート・カー (初代サマセット伯)|ロバート・カー]]夫人[[フランセス・カー (サマセット伯爵夫人)|フランセス]]に協力して{{仮リンク|トマス・オーヴァーベリー|en|Thomas Overbury}}の殺害に一役買ったといわれている{{sfn|松村赳|富田虎男|2000| p=338}}{{sfn|木村俊道|2003|p=233}}。
 
1614年6月15日に死去した。生涯結婚せず、子供がなかったため、保有爵位は彼の死とともに廃絶した<ref name="thepeerage.com"/>。