削除された内容 追加された内容
m Botによる: {{Normdaten}}を追加
52行目:
[[1994年]]6月、Amigaの生みの親であるジェイ・マイナーが死去。その2か月後にコモドールは倒産する。Amiga 4000のタワー型筺体「Amiga 4000T」が型番的にはAmigaシリーズ最後の、そしてコモドール最後のハードとなっている。コモドール倒産前、[[ヒューレット・パッカード]]社製の[[ペンティアム]]互換CPU、AGAチップセットを上回るAAAチップセット搭載、[[Windows NT]]駆動の[[Amiga 6000]]の制作が発表されるが、結局このマシンは日の目を見ることはなかった。
 
コモドール倒産後、Amigaの版権は各社を転々とする。コモドール末期のハードAmiga 4000Tなどは、版権を受け継いだドイツの[[Escom]]社の下で生産された出荷数のほうが多い。Amigaはドイツではまだ人気があったし、他の国でも特定の方面には依然として大きな需要があったが、親会社の経営方針のために倒産の時点でハードの開発が止まってしまい、MacやPCに対して性能的にどんどん水をあけられ、一方では[[Lightwave]]など主要なサードパーティー製ソフトの他機種への移植も進み、徐々に表舞台から姿を消してゆく。時を同じくして他のホームコンピュータ([[MSX]]やイギリスの[[Acorn Archimedes]]、日本では[[FM TOWNS]]や[[X68000]]などがこれに当たる)も次々と死滅製造を終了していき、パソコン市場はPC/AT互換機とMacintoshが席巻するようになった。
 
===2000年代以降===