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<!--だが、{{要出典範囲|時代の移り変わりの影響を受け、第二次世界大戦後は、特に都会地を中心に、[[空飛ぶ円盤|未確認飛行物体]]として認識される傾向が強くなっているようである。|date=2012年5月}}-->
==諸説==
19世紀末イギリスの民俗学者[[セイバイン・ベアリング=グールド]]は、死体が腐敗して発生した[[リン化水素]]の発散が墓の上をただよう青い光を生むということはありそうなことだと考えていた<ref>{{Cite book|和書|author=今泉忠義・訳|year=1955|title=民俗学の話|publisher=角川書店|pages=22p}}</ref>。{{要出典範囲|date=2020年8月|一説によると、「戦前の葬儀は[[土葬]]であったため、遺体から抜け出した[[リン]]が雨の日の夜に雨水と反応して光る現象は一般的であり、庶民に科学的知識が乏しかったことが人魂説を生み出した」と言われるが{{誰2|date=2011年12月}}}}、人や動物の骨など多く含まれる[[リン酸]]自然しないので該当しない。ただし、リン化水素は常温では無色腐魚臭の[[可燃性]][[気体]]で、[[常温]]の空気中で酸素と反応して[[自然発火]]する<ref>大谷英雄ほか、「[https://www.jstage.jst.go.jp/article/safety/27/2/27_96/_article/-char/ja ホスフィンの爆発限界]」、『安全工学』1988 年 27 巻 2 号 p. 96-98、{{doi|10.18943/safety.27.2_96}}</ref>
 
昔から、蛍などの発光昆虫や流星の誤認、光るコケ類を体に付けた小動物、沼地などから出た引火性のガス、[[球電]]、さらには目の錯覚などがその正体と考えられた。例えば[[寺田寅彦]]は[[1933年]](昭和8年)に[[東京大学新聞社|帝国大学新聞]]に寄稿した随筆の中で、自分の二人の子供が火の玉を目撃した状況や、高圧放電の火花を拡大投影した像を注視する実験、伊豆地震の時の各地での「地震の光」の目撃談<ref>[[1930年]](昭和5年)の[[北伊豆地震]]の際に静岡県南部で報告された[[宏観異常現象|発光現象]]と推定される。</ref>に基づき、物理的現象と錯覚とが相俟って生じた可能性を述べている<ref>寺田寅彦「人魂の一つの場合」、『寺田寅彦随筆集 第四巻』、 [[小宮豊隆]]編、 岩波文庫、岩波書店([[青空文庫]]でも公開)</ref>。実際に可燃性ガスで人工の人魂を作った例もある([[山名正夫]]・[[明治大学]]教授の[[メタンガス]]による実験、1976年ほか)<ref>山名正夫:「ひとだま」科学朝日、1963年(昭和38年)8月、pp.28-33.</ref><ref>山名正夫:自由空気中に拡散する水平ガス棒中の火炎伝播(燃焼現象としての「ひとだま」)日本航空学会誌14巻149号、1966(昭和41年)、pp.170-176.</ref><ref>山名正夫:最後の30秒―羽田沖全日空機墜落事故の調査と研究―、朝日新聞社、1972年(昭和47年)pp.247-253.</ref>。