「下呂市」の版間の差分

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しかし厳密には、室町時代の僧、[[万里集九]]がこれらを三名泉と既に書き残している。
===地名の由来===
[[古代]]の[[歴史書]]の『[[続日本紀]]』によれば、[[宝亀]]2年([[776年]])下呂温泉の付近には[[美濃国]]の[[菅田町|菅田駅]]と[[飛騨国]][[大野郡]]の伴有駅(上留駅)があった。<ref>[http://www.city.gero.lg.jp/kankou/view.rbz?of=1&ik=0&pnp=14&cd=26 下呂市観光情報]</ref>しかし、この2つの駅間は遠い上に道も険しかったため、間に駅を新たに置くこととなり、下留駅(しものとまりえき)を置いた。やがて、下留(げる)と読むようになり、時代が進むに従い音読みする様になり、転じて現在の音と表記になった。菅田駅は、現在の下呂市金山町菅田、伴有駅は下呂市萩原町上呂にあったものと推定されている。
 
同じく『岐阜県益田郡誌』にも、「[[光仁天皇]]の御代[[宝亀]]7年までは[[大野郡]]伴有里の内なりしも後下留郷となし、又其後・・・湯之島・森・小川・三原に[[中原村 (岐阜県)|中原村]]大字門原の舊六ヶ村を下呂郷と称す」、「蓋し村名の起因は前記下留が下呂と轉じたるならむ」<ref>岐阜県益田郡役所、『岐阜県益田郡誌』合名会社大衆書房、1960年、30頁。</ref>とあり、古くは下留(しものとまり)と呼ばれていたものがやがて下留(げる)を経て下呂(げろ)と変化したものであろうと言われている。
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[[File:Gero spa town district Aerial photograph.1977.jpg|thumb|200px|下呂温泉周辺の空中写真。1977年撮影。<br />{{国土航空写真}}。]]
[[File:Hidagawa-of-Gero001.JPG|right|thumb|200px|飛騨川]]
下呂市全体の面積851.06km<sup>2</sup>のうち、山林が約9割を占めている。[[川|河川]]に沿った平坦地とゆるやかな斜面を利用して、農業地と[[商業地]]・[[住宅地]]などの[[市街地]]が混在している。飛騨地域で唯一、分水嶺より南にある市町村である。地目別では農林自然面積の森林(91.8%)、農用地(1.9%)と大部分であり、都市住宅用地わずかな面積であり、宅地(0.8%)、道路他(5.4%)となっている。市域のほぼ中央を[[一級水系|一級河川]][[飛騨川]]が南へ流れ、西には[[馬瀬川]]がある。また、[[御嶽山]]をはじめ河川の両側には山並みが迫り、『[[飛騨木曽川国定公園]]』や『岐阜県立自然公園』なども位置する岐阜県内有数の自然豊かな地域である。
また、飛騨川に沿って[[国道41号]]や[[東海旅客鉄道|JR]][[高山本線]]が通り、横断する形で[[国道256号]]、[[国道257号]]が通じているので、各地からのアクセスは充実している。
===地形===
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*[[馬瀬川]]
*[[小坂川 (岐阜県)|小坂川]]
馬瀬川は[[アユ]]釣りの宝庫として知られていて、鮎釣りの[[メッカ]]と呼ばれている。
平成19年([[2007年]])に[[東京都]]内のホテルで開かれた「清流めぐり利き鮎会」主催した行事の「利き鮎会スペシャル in TOKYO」では、馬瀬川の鮎がグランドチャンピオンを獲得した。
 
また、小坂川の全流域が含まれる小坂町は、滝の多い地域として知られ、5m以上の滝が200か所以上ある。