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[[1649年]]1月にチャールズ1世が処刑されてからはクロムウェルの側近となり、5月に彼が[[平等派]]を鎮圧をしたことを感謝するロンドンの祝賀会にクロムウェルと共に出席、8月から開始された[[クロムウェルのアイルランド侵略]]で7月から先発隊に入り2度目のアイルランド遠征に加わった。アイルランドに対する情け容赦ない態度は変わらず、侵略を擁護する発言やアイルランドから奪った土地を入植者へ与える旨を書き残している<ref>田村、P92、P100、清水、P169。</ref>。
 
帰国後は[[イングランド共和国]]における理論家、[[1653年]]に[[護国卿]]に就任したクロムウェルの忠実な側近として活動した。アイルランド侵略と同時期に[[ウェールズ]]で福音宣教を計画し[[1650年]]に実行され、[[1651年]]に出版した『よき為政者の善政』ではアメリカとオランダをモデルにした政治・宗教・経済政策を提言し共和国に指針を与えようとした。外交・宗教政策にも関与、[[1652年]]に始まった[[第一次英蘭戦争]]に反対、[[1654年]]には牧師認可の権限を与えられ{{仮リンク|審査委員会|en|Commission of Triers}}に属し、[[1658年]]にはグッドウィン、{{仮リンク|ジョン・オウエン (神学者)|en|John Owen (theologian)|label=ジョン・オウエン}}らと[[サヴォイ宣言]]を起草するなど活動は広範囲におよんだ<ref>岩井、P223、P262 - P263、P284、P287。</ref>。
 
=== 最期 ===