「ルキノ・ヴィスコンティ」の版間の差分

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[[1942年]]、『[[郵便配達は二度ベルを鳴らす (1942年の映画)|郵便配達は二度ベルを鳴らす]]』で[[映画監督]]としてデビュー。原作の使用許可を得ていなかったため、原題は『''Ossessione'' (妄執)』である。同作は現在では[[ネオレアリズモ]]運動の先駆的作品と称されることもある。ヴィスコンティは以後、[[ロベルト・ロッセリーニ]]や[[ヴィットリオ・デ・シーカ]]などと共にネオレアリズモの主翼を担う存在として知られるようになった。その後、数年間は[[舞台]]や[[オペラ]]の[[演出家]]として専心した。また、[[第二次世界大戦]]中には[[イタリア共産党]]に入党した。戦後、[[1948年]]に[[南イタリア]]の貧しい漁師たちを描いた『[[揺れる大地]]』を発表し、6年ぶりに映画監督として復帰。同作は第9回[[ヴェネツィア国際映画祭]]で[[国際賞]]を受賞した。以後、『[[ベリッシマ]]』([[1951年]])や『[[夏の嵐 (1954年の映画)|夏の嵐]]』([[1954年]])といったネオレアリズモに根差した作品を発表した。[[1957年]]には[[フョードル・ドストエフスキー|ドストエフスキー]]の同名小説を映画化した『[[白夜 (1957年の映画)|白夜]]』を発表。第18回ヴェネツィア国際映画祭で[[銀獅子賞]]を受賞した。また、この頃に共産党から離党した。
 
[[1960年]]、[[アラン・ドロン]]や[[クラウディア・カルディナーレ]]、[[アニー・ジラルド]]らを起用したネオレアリズモの集大成的大作『[[若者のすべて (映画)|若者のすべて]]』を発表。第21回ヴェネツィア国際映画祭で[[ヴェネツィア国際映画祭 審査員特別賞|審査員特別賞]]と国際映画批評家連盟賞を受賞した。ネオレアリズモが下火となった以後は、自身の出自でもある貴族の没落や芸術家を描いた重厚で耽美的な作風に傾倒した。[[1963年]]、[[バート・ランカスター]]を主演に迎え、[[ジュゼッペ・トマージ・ディ・ランペドゥーサ]]の同名小説を映画化した『[[山猫 (映画)|山猫]]』を発表。[[第16回カンヌ国際映画祭]]で[[パルム・ドール]]を受賞した。[[1965年]]には『[[熊座の淡き星影]]』が[[第26回ヴェネツィア国際映画祭]]で[[金獅子賞]]を受賞した。[[1967年]]には[[マルチェロ・マストロヤンニ]]と[[アンナ・カリーナ]]を起用し、[[アルベール・カミュ]]の[[異邦人 (小説カミュ)|同名小説]]を映画化した『[[異邦人 (映画)|異邦人]]』を発表した。
 
[[1969年]]、[[ダーク・ボガード]]や[[ヘルムート・バーガー]]、[[イングリッド・チューリン]]、[[シャーロット・ランプリング]]らを配した『[[地獄に堕ちた勇者ども]]』を発表。[[国家社会主義ドイツ労働者党|ナチス]]が台頭した[[1930年代]]前半の[[ナチス・ドイツ|ドイツ]]における製鉄一族の凋落を描いた。[[日本]]では[[三島由紀夫]]に激賞された。[[1971年]]には再びボガードを起用し、[[トーマス・マン]]の[[ヴェニスに死す|同名小説]]を映画化した『[[ベニスに死す (映画)|ベニスに死す]]』を発表。[[第24回カンヌ国際映画祭]]で25周年記念賞を受賞した。同作は[[グスタフ・マーラー|マーラー]]の[[交響曲第5番 (マーラー)|交響曲第5番]]第4楽章アダージェットを一躍有名にした作品としても知られる。原作ではマーラーをモデルにした主人公アッシェンバッハは作家であるが、ヴィスコンティはそれを作曲家に変更している。また、タッジオを演じた[[ビョルン・アンドレセン]]は本作をきっかけにアイドル的な人気を博した。翌[[1972年]]にはヘルムート・バーガーを主演に据え、[[バイエルン王]][[ルートヴィヒ2世]]の即位から死までを史実に沿って描いた歴史大作『[[ルートヴィヒ (1972年の映画)|ルートヴィヒ]]』を発表。ヴィスコンティは撮影中に病に倒れたが、過酷なリハビリをこなした末に同作を完成させた。しかし、左半身の後遺症は生涯残り、以後は車椅子での生活を余儀なくされた。これら3作品は[[19世紀]]後半から[[20世紀]]前半の[[ドイツ]]圏の爛熟と崩壊を遡る形で描いた「'''ドイツ三部作'''」と呼ばれる。
 
[[1974年]]、バート・ランカスターやヘルムート・バーガー、[[シルヴァーナ・マンガーノ]]を起用した『[[家族の肖像 (映画)|家族の肖像]]』を発表。ランカスターが演じた孤独な老教授はヴィスコンティが自身を投影した人物とされる。日本ではヴィスコンティの死後、[[1978年]]に公開され、異例のヒットを記録。[[キネマ旬報]]ベストテンの第1位や[[日本アカデミー賞]]外国語映画賞などを受賞した。[[1976年]]には[[ガブリエーレ・ダヌンツィオ]]の同名小説を映画化した『[[イノセント]]』を発表。貴族映画の傑作として高く評価された。
 
同年[[3月17日]]、[[ローマ]]にて69歳で死去した
 
=== 人物 ===