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無出典と独自研究
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* 1997年-2001年 [[日本大学工学部・大学院工学研究科|日本大学工学部]]*福島県郡山市
* 2001年-2020年 [[東芝ブレイブルーパス]]
日本大学工学部でラグビーを始めた変わり種。大学からラグビーを始めた理由は「野球部に入ろうとグランドに向かっていたら、両脇を先輩に抱えられて、名前と電話番号を書いた。そこから毎日、勧誘の電話が来て一回はグランドに顔を出さないといけないと、行ってみるとキツい練習をしている先輩たちの輪に入りたいと思ったから」。全国的には無名の地方リーグでプレーしており地元企業から内定を貰っていた大学4年の春に転機が訪れる。国体の福島選抜チームに呼ばれたがその時のFWコーチが[[薫田真広]](元東芝監督)と筑波大で同期だった事が縁で1回だけ東芝の練習に参加、東芝側はその1度の練習を見ただけで採用を決めたという。東芝入団後はトップレベルのメンバーとの厳しい練習で揉まれ次第に頭角を現してゆく。入団2年目の対サントリー戦(東日本社会人リーグ)でスタメンでデビュー。翌年トップリーグがスタート。そのシーズンの後半あたりからロックのレギュラーに定着。チームのトップリーグ計5回の優勝に貢献する。体格からは想像もつかない圧倒的なフィットネスとスピードが魅力。2005年には[[7人制ラグビー男子日本代表|セブンス代表]]に選出されるなど、ランニングスキルにも優れた闘志溢れるプレーヤーである。
日本代表には2004年から選出され5月16日の対韓国戦の後半20分リザーブから代表デビューを果たす。2006年のIRBパシフィック・ファイブ・ネイションズでは代表の主将を務めた。[[ラグビーワールドカップ]]には[[ラグビーワールドカップ2007|2007年度]]、[[ラグビーワールドカップ2011|2011年度]]、[[ラグビーワールドカップ2015|2015年度]]に出場した。また2015年12月には[[スーパーラグビー]]の日本チーム[[サンウルブズ]]の2016年スコッドに入った<ref>[http://rugby-rp.com/news.asp?idx=108997&code_s=1003 サンウルブズで新たな歴史を 大野、堀江、山田、矢富、ピシらスコッド入り!]</ref>。
2020年5月18日、チームを通して、現役引退を発表し、19年間に及んだ選手生活にピリオドを打った<ref>[https://rugby-rp.com/2020/05/18/japan/man15/50966/2 体を張り、走り続けたラグビー界のレジェンド。大野均、現役引退。]</ref>。