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'''AN/SPY-1'''は、[[アメリカ合衆国]]が[[イージスシステム]]用に開発した[[フェーズドアレイレーダー]]。八角形の[[パッシブ・フェーズドアレイ・アンテナ]]を4面、固定式に設置して、多数の目標を捜索・[[捕捉レーダー|捕捉]]・[[追尾レーダー|追尾]]するとともに、[[対空ミサイル]]の誘導にも関与する多機能[[レーダー]]である{{Sfn|大熊|2006|pp=35-41}}。製造は[[ロッキード・マーティン]]社(当初はRCA社){{Sfn|Friedman|1997|pp=374-375}}
 
__TOC__
== 概要 ==
[[ファイル:JS Ashigara, DDG-178 at Naval Station Pearl Harbor.jpg|thumb|250px|left|[[あたご型護衛艦]]「[[あしがら (護衛艦)|あしがら]]」<br/>艦橋正面上部、クリーム色の八角形がAN/SPY-1D(V)のアンテナ、両舷に各1基が確認できる]]
SPY-1レーダーは、[[イージスシステム|イージス武器システム]]の核心となるサブシステムであり、多数目標の同時捜索探知、追尾、評定、および発射された[[ミサイル]]の追尾・指令誘導の役目を一手に担う、多機能[[レーダー]]である{{Sfn|大熊|2006|pp=35-41}}
 
[[パッシブ・フェーズドアレイ・アンテナ|パッシブ・フェーズド・アレイ・タイプ(PESA)方式]]の固定式平板[[アンテナ]]を4枚持ち、これを四方に向けて上部構造物に固定装備することで、全周半球空間の捜索が可能になっている。その特徴的な外見は、[[イージス艦]]の特徴ともなっている。極めて優れた探知能力を備えており、[[アメリカ海軍]]は「SPYレーダー表示画面に目標を視認すれば、そこには目標が存在する。表示画面に目標を視認しなければ、そこには絶対に目標は存在しない」と豪語するほどである<ref name="軍事システム エンジニアリング">{{Sfn|大熊康之(2006年)による</ref>|2006|pp=35-41}}
 
最初に開発された'''A型'''、発展型の'''B型'''は[[巡洋艦]]向けで、前後の上部構造物に分けて装備された。その後、レーダー機器を艦橋構造物に集中配置して効率化をはかるとともに小型り、システムをコンパクト化した'''D型'''、その改良型の'''D(V)'''型が[[駆逐艦]]向けとして開発された。またD型をベースとしてさらにシステムを簡略化された[[フリゲート]]向けのF型、より小型の艦艇向けの'''K型'''も開発されている{{Sfn|Streetly|2005|pp=157-158}}
{{Clearleft}}
== 来歴 ==
=== SPG-59の挫折 ===
[[ジェット機]]の登場による経空脅威の増大に対処するため、[[1957年]]より、[[アメリカ海軍]]は次世代の防空システムとして[[タイフォン・システム]]の開発に着手した{{Sfn|大熊|2006|pp=41-44}}。その中核となる多機能レーダーとして開発されたのが{{仮リンク|AN/SPG-59|en|AN/SPG-59}}で、目標の捜索から捕捉・追尾、更にTVM方式による艦対空ミサイルの誘導まで、交戦の全ての段階を担うことになっていた{{Sfn|大熊|2006|pp=41-44}}。しかし同システムでは、要求性能の高さに対する技術水準の低さなどのために開発は極めて難航しており、特にSPG-59レーダーは信頼性が低く、性能は要求に遠く達しない上に重量過大であった{{Sfn|大熊|2006|pp=41-44}}。
 
[[1962年]]には同システムの開発は実質的に打ち切られており{{Sfn|大熊|2006|pp=41-44}}、これを受けて[[1963年]]、アメリカ海軍は先進水上ミサイル・システム(ASMS)計画を開始した{{Sfn|大熊|2006|pp=46-57}}。この計画にあたり、海軍は民間企業に研究と提案書の提出を求めるとともに、独自に選抜した人材による評価グループを設立した{{Sfn|大熊|2006|pp=46-57}}。このグループはウィシントン少将をリーダーとし{{Efn2|フレドリク・S・ウィシントン少将は、海軍武器局{{Enlink|Bureau of Ordnance|BuOrd}}の最後の局長を務めたのち、在日米海軍{{Enlink|Naval Forces Japan (United States)|CNFJ}}司令官を経て1961年に退役していたが<ref>{{Cite web|url=https://www.usni.org/press/oral-histories/withington-frederic|title=Withington, Frederic S., Rear Adm., USN (Ret.)|author=U.S. Naval Institute|accessdate=2021/04/01}}</ref>、[[ポール・ニッツェ]]海軍長官の決断によって現役復帰し、グループリーダーに任ぜられた{{Sfn|大熊|2006|pp=46-57}}。}}、[[1965年]]1月から約1年間という短期集中で作業にあたった。その主要な任務は、ASMSのシステムコンセプトとともに、特にその中核となる多機能レーダーの設計指針を策定することにあった{{Sfn|大熊|2006|pp=46-57}}。これによって開発されたのが本レーダーである{{Sfn|大熊|2006|pp=46-57}}。
== 開発 ==
[[ジェット機]]の登場による経空脅威の増大に対処するため、[[アメリカ海軍]]は[[1958年]]より次世代の防空システムとして[[タイフォン・システム]]の開発を開始していた。タイフォン・システムは、多機能[[レーダー]]である{{仮リンク|AN/SPG-59|en|AN/SPG-59}}を中核として、WDSの武器管制機能と[[海軍戦術情報システム|NTDS]]の[[戦術情報処理装置|戦術情報処理機能]]を統合した統合化システムで、システム・リアクション・タイム 10秒、20の目標を同時追尾可能というもので、時代を考えると極めて野心的なものであった。そのSPG-59は、目標を捜索・捕捉・追尾して、TVM方式でタイフォン・ミサイルを誘導するという多機能レーダーで、{{仮リンク|ルーネベルグ・レンズ|en|Luneburg lens}}によるビーム・ステアリング方式を採用、出力管としてTWTを採用した3,400の[[アンテナ]]素子を備えた大直径の発信アンテナと、受信機として3つのルーネベルグ・レンズを使用し、動作周波数はCバンドと計画された。しかし、要求性能の高さに対する技術水準の低さ、統合システムの開発への経験不足により、開発は極めて難航した。とくにSPG-59レーダーは信頼性が低く、性能は要求に遠く達しない上に重量過大であった。
 
=== 設計指針の策定 ===
[[1962年]]には、タイフォン計画は実質的に打ち切られており、これを受けて[[1963年]]、背水の陣のアメリカ海軍は先進水上ミサイル・システム(ASMS)計画を開始した。ASMSの開発に際して、海軍は民間企業に研究と提案書の提出を求めるとともに、独自に選抜した人材による評価グループを設立した。ウィシントン提督をリーダーとするこのグループの主要な任務は、ASMSのシステムコンセプトとともに、SPY-1レーダーの設計指針を策定することにあった。
本レーダーの設計指針の策定は、ASMS開発の成否を決する技術上最大の課題であった。特に最初にして最も重要な問題は、動作周波数の決定にあった。[[Xバンド]]以上では探知距離が不足で、[[Sバンド]]以下では送信設備が過大となるため、選択肢は[[Cバンド]]とSバンドに絞られた。兵器局が推すCバンドは低高度目標に対する探知性能に優れ、[[電子防護|ECCM]]性も高く、アンテナを小型にすることができるが、探知距離に不安があった。一方、艦船局が推すSバンドは遠距離捜索性能に優れ、性能による影響も小さいが、アンテナは大型化が予想された。当初、SPG-59がCバンドを採用していたこともあってCバンドが有力であったが、ウィシントン提督の裁決によってSバンドが採用された。この決定によりウィシントン提督は、アメリカの兵器開発史上に不朽の名声を残すことになった{{Sfn|大熊|2006|pp=46-57}}。
 
また、タイフォン・システムではTVM方式によるミサイルの終末誘導までをSPG-59多機能レーダーで行う計画であったのに対し、ASMSでは、ミサイルの終末誘導の機能は多機能レーダーから分離して、スレイブ型の専用[[イルミネーター]](後の[[Mk.99 ミサイル射撃指揮装置|AN/SPG-62]])を装備することとなった。このほか、レーダー送信管も、SPG-59で使われていた[[進行波管]]{{Enlink|Traveling-wave tube|TWT}}ではなく[[交差電力増幅管]]{{Enlink|Crossed-field amplifier|CFA}}が採用されることになった{{Sfn|大熊|2006|pp=46-57}}。
SPY-1は、ASMSの中核となるものであり、タイフォン・システムの頓挫の一因がSPG-59の開発失敗にあったことを考えると、SPY-1レーダーの設計指針の策定は極めて重要であった。最初にして最も重要な問題は、動作周波数の決定にあった。[[Xバンド]]以上では探知距離が不足で、[[Sバンド]]以下では送信設備が過大となるため、選択肢は[[Cバンド]]とSバンドに絞られた。兵器局が推すCバンドは低高度目標に対する探知性能に優れ、[[電子防護|ECCM]]性も高く、アンテナを小型にすることができるが、探知距離に不安があった。一方、艦船局が推すSバンドは遠距離捜索性能に優れ、性能による影響も小さいが、アンテナは大型化が予想された。当初、SPG-59がCバンドを採用していたこともあってCバンドが有力であったが、ウィシントン提督の裁決により、'''Sバンド'''が採用された。この決定によりウィシントン提督は、アメリカの兵器開発史上に不朽の名声を残すことになった<ref name="軍事システム エンジニアリング">大熊康之(2006年)による</ref>。
 
これらの検討を踏まえて、RCA社では、1965年より本機の開発に着手した{{Sfn|Friedman|1997|pp=374-375}}。なお1969年、RCA社が主契約者に選出されるとともに、ASMSは正式にイージスと改称した{{Sfn|大熊|2006|pp=46-57}}。
これに続き、レーダー送信管の選定が行われ、SPG-59で採用された[[進行波管]]([[:en:Traveling-wave tube|TWT]])ではなく[[交差電力増幅管]]([[:en:Crossed-field amplifier|CFA]])が採用され<ref>『軍事システム エンジニアリング』および「米海軍の研究開発システム」による。「多機能レーダーの機能と発達」によればTWTとCFAの組み合わせ</ref>、本数は32本となった。
 
=== 試験の過程 ===
また、[[ミサイル]]の誘導機能を分離したスレイブ型の専用[[イルミネーター]]を装備することも決定された。これにより開発されたのが、[[Mk.99 ミサイル射撃指揮装置]]のレーダーAN/SPG-62である。
タイフォンでは、SPG-59の試作機をいきなり洋上試験に投入していたのに対し、イージスではまず地上で試験することが構想された。このために[[ニュージャージー州]]の{{仮リンク|ムーアス・タウン (ニュージャージー州)|label=ムーアス・タウン|en|Moorestown, New Jersey}}に設置されたのが多目的陸上開発サイト(CSEDS)で{{Sfn|大熊|2006|pp=69-84}}、ランコカス地区にあった[[アメリカ空軍|空軍]]のレーダー試験施設を譲り受けて、平たいビルディングの屋上に水上戦闘艦の上部構造物を再現した{{Efn2|この施設はハイウェイ([[ニュージャージー・ターンパイク]]および{{仮リンク|I-295|en|Interstate 295 (Delaware–New Jersey)}})から見えることもあって、「トウモロコシ畑の巡洋艦」({{Lang|en|Cruiser in the cornfield}})、「ランコカス号」{{Enlink|USS Rancocas|USS ''Rancocas''}}などと通称されて、地元の名所となっている{{Sfn|野木|2007}}。}}。
 
地上テストサイトに最初に設置されたのが本機の試作品(技術開発モデル)で、アンテナは1面のみの構成であった{{Sfn|野木|2007}}。これは1973年より稼働を開始し、後には戦術情報処理装置などその他のシステムと統合されて、システム全体の試作機にあたる技術開発モデル1号機({{Lang|en|Engineering Development Model 1, EDM-1}})としての試験に入った{{Sfn|大熊|2006|pp=69-84}}。地上での航空機追尾試験などを経て、1974年にはEDM-1を実験艦「[[ノートン・サウンド (ミサイル実験艦)|ノートン・サウンド]]」に移設しての洋上試験が開始された{{Sfn|大熊|2006|pp=69-84}}。同艦では、地上テストサイトではシミュレータで代用されていたミサイル発射機(艦隊現用のMk.26発射機およびSM-1ミサイル)なども搭載され、ほぼ実艦への搭載に近い状況下で、[[太平洋]]上で総合的な試験がくりかえされた{{Sfn|大熊|2006|pp=69-84}}。このとき、ミサイル発射試験の初弾で早くもインターセプトに成功したほか、高速目標に対する迎撃能力、レーダーの対妨害能力の高さが注目されたと伝えられている{{Sfn|大熊|2006|pp=69-84}}。
評価グループの報告を受け、[[1969年]]にRCA社が担当企業として選定されるとともに、ASMS計画は'''イージス計画'''と改称した。SPY-1の試作品(Engineering Development Model 1:EDM-1)は、陸上の実験施設<ref>[[ニュージャージー州]]{{仮リンク|ムーアス・タウン (ニュージャージー州)|label=ムーアス・タウン|en|Moorestown, New Jersey}}に所在する多目的陸上開発サイト (CSEDS)で、EDM-1のほかに対空・対水上レーダやデータリンクを装備している。水上戦闘艦の上構を再現した異様な外観[http://www.barking-moonbat.com/images/uploads/USS_Rancocas_aka_Cornfield_Cruiser.jpg]から「トウモロコシ畑の巡洋艦」「ランコカス号」({{仮リンク|USS ランコカス|en|USS Rancocas}})と通称された。ハイウェイ([[ニュージャージー・ターンパイク]]および{{仮リンク|I-295|en|Interstate 295 (Delaware–New Jersey)}})からも見えるため、地元の名所となっている</ref>で[[1973年]]より稼働し、信頼性と性能の試験を経て、WCS(Weapon Control System)とC&D(Command and Decision System)と連接されて実験艦「[[ノートン・サウンド (ミサイル実験艦)|ノートン・サウンド]]」に搭載され、[[1974年]]より洋上試験が開始された。同艦には、ミサイル発射機なども搭載され、[[太平洋]]上で総合的な試験がくりかえされた。これらの試験においては、SPY-1のECCM性能、全天候性能が注目された。
 
SPY-1シリーズこれら試験を経て、初の実用機は、であるAN/SPY-1Aを搭載した[[タイコンデロガ級ミサイル巡洋艦]]の[[ネームシップ]]([[タイコンデロガ (ミサイル巡洋艦)|タイコンデロガ]]」に搭載され、[[)は1983年]]の同艦の就役とともに運用を開始した<ref>藤木平八郎(『[[世界の艦船]]』{{Sfn|大熊|2006年12月号)による</ref>|pp=35-41}}
 
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後継レーダーとして、[[アクティブ・フェーズドアレイ・アンテナ]]を採用した[[AN/SPY-6|AN/SPY-6 AMDR]]が開発されている。またロッキード・マーティンは、[[タイコンデロガ級ミサイル巡洋艦]]と[[アーレイ・バーク級ミサイル駆逐艦]]の寿命を2040年代以降に延ばすためのSPY-1改装プログラムとして、[[AN/SPY-7|AN/SPY-7(V)1]]をアメリカ海軍に薦めている<ref>[https://news.usni.org/2017/01/10/lockheed-martin-advocates-quickening-aegis-spy-1-upgrade-programs Lockheed Martin Advocates Accelerating Aegis, SPY-1 Upgrades] USNI.org January 10, 2017</ref>。
File:USS Rancocas front.jpg|地上テストサイト
File:USS Norton Sound (AVM-1) underway at sea, circa in 1980.jpg|「ノートン・サウンド」
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== 機構設計 ==
=== 構成 ===
[[ファイル:An_spy-1D_m02006120800384.jpg|thumb|250px|left|AN/SPY-1Dレーダー・アンテナ]]
上記の経緯により、動作周波数は[[Sバンド]]となった{{Sfn|大熊|2006|pp=46-57}}。アンテナ指向性の制御については、SPG-59では{{仮リンク|ルーネベルグ・レンズ|en|Luneburg lens}}によって行っていたのに対し、SPY-1では位相の制御によって行う方式を採用し、[[フェーズドアレイレーダー]]となった{{Sfn|大熊|2006|pp=46-57}}。4面の[[パッシブ・フェーズドアレイ・アンテナ]]を固定配置する方式で{{Sfn|Friedman|1997|pp=374-375}}、アンテナは、横幅3.66メートル×高さ3.84メートルの長方形をもとに、各頂点を切り欠いた八角形であった{{Sfn|木下|1991}}。
[[フェーズドアレイレーダー]]であるSPY-1は、フェーズ・シフターによってビーム・ステアリングを行っている。動作周波数は[[Sバンド]]、出力は最大4MW、平均64kWである。また、[[アンテナ]]一面当たりの[[レーダー]]・アンテナ素子は、SPY-1シリーズの主流であってアレイの一辺が3.66メートルのA, B, B(V), D, D(V)型においては4,350個、一辺2.44メートルと小型化されたF, F(V)型では1,856個、一辺1.68メートルとさらに小型化されたK型では912個である<ref name="世界">野木恵一(『世界の艦船』2008年3月号)による</ref>。
 
初期量産型の'''SPY-1A'''の場合、アンテナ1面は140個のモジュールによって構成されており、モジュールはそれぞれ32個までの送信機・移相器を備えていた{{Sfn|Friedman|1997|pp=374-375}}。モジュールの一部には空所が設けられており、1面あたりの合計個数は、送信素子は4,096個、受信素子は4,352個、予備の素子が128個であった{{Sfn|Friedman|1997|pp=374-375}}。これらのモジュールはそれぞれ送信サブアレイと受信サブアレイを構成して、送信アレイ32個と受信アレイ68個を構成するように配列された{{Sfn|Friedman|1997|pp=374-375}}。送信アレイは8個の送信機(CFA×32個、[[空中線電力|送信尖頭電力]]132キロワット)による給電を受けていた{{Sfn|Friedman|1997|pp=374-375}}。移相器としてはフェライト移相器が用いられているといわれている{{Sfn|木下|1991}}。またビーム制御はAN/UYK-7電子計算機によって行われた{{Sfn|Friedman|1997|pp=374-375}}。
探知段階においては、[[コンピュータ]]によって制御された幅1.7度のペンシル・ビームが、全周の半球空間を走査する。走査パターンはドクトリンに従って制御され、低空域など特定の空域を集中的に捜索することも可能である。走査中に探知された目標の情報(距離、方位角および高角)は保存され、1秒間に数回という頻度で更新される<ref name="発達">多田智彦(『世界の艦船』2008年3月号)による</ref>。ある1つの捜索ビームで1つの目標を初探知すると、コンピュータはその目標に対して複数のビームを指向して捕捉し、追尾に移行する<ref name="軍事システム エンジニアリング">大熊康之(2006年)による</ref>。最大探知距離は500km、同時に追尾できる目標数は200以上と言われている。
 
改良型の'''SPY-1B'''では、送信機を改良することで送信尖頭電力を変えずに[[デューティ比]]を倍増させ、より長いパルス長に対応するとともに高仰角方向への送信能力を向上させた{{Sfn|Friedman|1997|pp=374-375}}。移相器の軽量化が図られて、1面あたりの移相器の合計重量が{{Convert|7900|lb|kg}}であったものが{{Convert|12000|lb|kg}}となったほか、アンテナのサイドローブ抑制能力が強化された{{Sfn|Friedman|1997|pp=374-375}}。またアンテナ素子は1面あたり4,350個となり、サブアレイの構成も変更された{{Sfn|Friedman|1997|pp=374-375}}。更に信号処理装置も強化され、電子計算機としては従来のAN/UYK-7・20に加えて新型のUYK-43が導入されたほか、コンソールも、従来のUYA-4に加えてUYQ-21が導入された{{Sfn|Streetly|2005|pp=157-158}}。
管制段階においては、SPY-1レーダーは多数のチャンネルを有する射撃管制レーダーとして機能し、高精度で目標を追尾して射撃諸元を算出する。
 
SPY-1Bをもとに、駆逐艦に搭載できるようにシステムのコンパクト化を図ったのが'''SPY-1D'''で、アンテナ素子は1面あたり4,350個で変わらないが{{Sfn|Streetly|2005|pp=157-158}}、4面のアンテナを1つの上部構造物の四周に配置するようにすることで、制御用の電子計算機を1基のUYK-43にまとめることができた{{Sfn|Friedman|1997|pp=374-375}}。電子計算機としてはUYK-7・20は廃止されてUYK-43・44に完全移行、コンソールもUYA-4は廃止されてUYQ-21とUYQ-70の組み合わせに移行した{{Sfn|Streetly|2005|pp=157-158}}。また従来は、艦対空ミサイルの指令誘導用アップリンクには専用アンテナが用いられていたのに対し、本機ではレーダー用アンテナと兼用となった{{Sfn|Friedman|1997|pp=374-375}}。その後、[[シースキマー]]対処・[[電子防護]]能力を向上させた改良型である'''SPY-1D(V)'''も開発された{{Sfn|Friedman|1997|pp=374-375}}。
攻撃段階においては、[[スタンダードミサイル]]の終末誘導を行う[[Mk.99 ミサイル射撃指揮装置]]を補完し、SM-2に対して2-wayリンクコマンドの中間指令誘導を行うことで、目標に対するMk.99の拘束時間を局限するとともに、[[ミサイル]]の誘導・飛翔経路を効率化する。
 
一方、SPY-1Dをもとにした軽量版として開発されたのが'''SPY-1F'''で、FARS({{Lang|en|Frigate Array Radar System}})と通称された{{Sfn|Friedman|1997|pp=374-375}}。通称の通りの[[フリゲート]]のほか、[[航空母艦]]や[[強襲揚陸艦]]への搭載も考慮されており、アンテナが2.4メートル径に縮小されたのに伴って、アンテナ素子も1,856個に削減された{{Sfn|Streetly|2005|pp=157-158}}。送信尖頭電力は、SPY-1Dでは4,000キロワットであったのに対し、SPY-1Fでは600キロワットに低下した{{Sfn|Streetly|2005|pp=157-158}}。また、更にアンテナを1.7メートル径に小型化し、素子数を912個に削減した'''SPY-1K'''も開発された{{Sfn|Streetly|2005|pp=157-158}}。
このように、SPY-1は目標の捜索・探知、追尾(および射撃諸元の算出)という複数の機能を単一の機種で実現しており、これにより、従来の防空システムでネックとなっていた、捜索レーダーから追尾レーダーへの目標の移管などがより迅速化され、交戦がより円滑化された。それらを一括して担当するSPY-1は、捜索・探知、管制、攻撃という、武器システムの基本機能の中核体として機能する<ref name="軍事システム エンジニアリング">大熊康之(2006年)による</ref>。
<gallery widths="200" heights="150">
{{-}}
File:2хSPG-62 Radars CG-57 Lake Champlain 2010-09-01.jpg|SPY-1A
== バージョン ==
File:JS Atago(DDG-177) SPY-1D(V) in Tenpouzan Port 20140426.JPG|SPY-1D(V)
[[ファイル:2хSPG-62 Radars CG-57 Lake Champlain 2010-09-01.jpg|thumb|250px|SPY-1A]]
File:Fridtjof Nansen class frigate - detail view.jpg|SPY-1F
;SPY-1A
</gallery>
:最初の実用型は[[イージスシステム]]のベースライン1および2に組み込まれ、[[タイコンデロガ級ミサイル巡洋艦]]の[[タイコンデロガ (ミサイル巡洋艦)|1番艦]]から[[フィリピン・シー (ミサイル巡洋艦)|12番艦]]までの12隻が装備した<ref name="現用">岡部いさく(『世界の艦船』2006年12月号)による</ref>。
 
:また、[[2003年]]には、海軍の退役艦から撤去されたSPY-1Aが[[:en:National Severe Storms Laboratory|アメリカ国立シビアストーム研究所(NSSL)]]に設置され、[[気象レーダー]]として運用されている。NSSLの保有機は[[アンテナ]]1面構成となっており、[[レドーム]]に収容されている<ref>{{Cite web|author=[[:en:National Severe Storms Laboratory|NSSL]]|year=2009|month=3|url=http://www.nssl.noaa.gov/news/backgrounders/nwrt.html|title=National Severe Storms Laboratory - Phased Array Radar Technology |format= PPT|language=英語|accessdate=2012年8月11日}}</ref>。
=== 機能 ===
{{-}}
本機は、[[コンピュータ]]制御による捜索・追尾・ミサイル誘導の各機能を兼ね備えた多機能レーダー({{Lang|en|multifunction radar}})である{{Sfn|大熊|2006|pp=35-41}}{{Sfn|Streetly|2005|pp=157-158}}。これにより、従来の防空システムでネックとなっていた、捜索レーダーから追尾レーダーへの目標の移管などがより迅速化され、交戦がより円滑化された。それらを一括して担当するSPY-1は、捜索・探知、管制、攻撃という、武器システムの基本機能の中核体として機能する{{Sfn|大熊|2006|pp=35-41}}。
;SPY-1B
 
:A型の発展型。ベースライン3に組み込まれ、タイコンデロガ級の[[プリンストン (ミサイル巡洋艦)|13番艦]]から[[ポート・ロイヤル (ミサイル巡洋艦)|27番艦]]までの15隻に搭載された。
探知({{Lang|en|detect}})段階においては、全周の半球空間中の所定の空間を約1ミリ秒の間ペンシル・ビームで捜索する{{Sfn|大熊|2006|pp=35-41}}。走査パターンはドクトリンに従い、最も効率的に捜索するように制御される{{Sfn|大熊|2006|pp=35-41}}。ある1つのビーム({{Lang|en|dwell}})で1つの目標を初探知すると、コンピュータは当該目標に対して複数のビームを集中的に指向して捕捉し、追尾に移行する{{Sfn|大熊|2006|pp=35-41}}。
:発信器の能力が改善され、高角度での発信能力が増強されており、急角度のハイ・ダイブで突入する目標への対処能力が向上したほか、アンテナ構成が見直されてサイドローブが減少し、精度も向上している。また、構成機器も効率化され、重量などの節約にもつながっている。なお、[[チョーシン (ミサイル巡洋艦)|19番艦]]以降はさらに改良された'''SPY-1B(V)'''を装備しているとも言われている<ref name="現用">岡部いさく(『世界の艦船』2006年12月号)による</ref>。
 
{{-}}
ペンシル・ビームの幅は縦横ともに1.7度、目標情報は1秒間に数回という頻度で更新され、同時に200個以上の目標を追尾することができる{{Sfn|Friedman|1997|pp=374-375}}。広域捜索に用いる場合の最大探知距離は{{Convert|175|nmi|km}}、シースキマーに対する低空警戒時の探知距離は{{Convert|45|nmi|km}}とされる{{Sfn|Friedman|1997|pp=374-375}}。
[[画像:JS Atago(DDG-177) SPY-1D(V) in Tenpouzan Port 20140426.JPG|thumb|250px|SPY-1D]]
 
;SPY-1D
管制({{Lang|en|control}})段階においては、SPY-1レーダーは多数のチャンネルを有する射撃管制レーダーとして機能し、高精度で目標を追尾して射撃諸元を算出する{{Sfn|大熊|2006|pp=35-41}}。
:B型をもとに、[[レーダー]]配置の効率化などによって、電力増幅部を半減してさらに軽量化した[[駆逐艦]]向けのモデル。[[1991年]]より就役を開始した[[アーレイ・バーク級ミサイル駆逐艦]]に搭載されたほか、[[日本]]の[[こんごう型護衛艦]]、[[スペイン]]の[[アルバロ・デ・バサン級フリゲート]]にも搭載されている。
 
:また、アーレイ・バーク級のうちベースライン6フェーズIII以降を搭載した艦([[プレブル (DDG-88)|プレブル]]以降)および日本の[[あたご型護衛艦]]と[[大韓民国|韓国]]の[[世宗大王級駆逐艦]]には、沿岸戦環境にも対応した改良型の'''SPY-1D(V)'''が搭載されている<ref name="現用">岡部いさく(『世界の艦船』2006年12月号)による</ref><ref name="現状">山本紀義(『世界の艦船』2003年2月号)による</ref>。
攻撃({{Lang|en|engage}})段階においては、[[スタンダードミサイル]]の終末誘導を行う[[Mk.99 ミサイル射撃指揮装置]]を補完し、SM-2に対して2-wayリンクコマンドの中間指令誘導を行うことで、目標に対するMk.99の拘束時間を局限するとともに、[[ミサイル]]の誘導・飛翔経路を効率化する{{Sfn|大熊|2006|pp=35-41}}。なおこの際、目標が遠ければ遠いほど、SPY-1による情報だけでは艦対空ミサイルの近接信管が作動する範囲内に艦対空ミサイルを誘導することが難しくなることから、イルミネーターによる精密な終末誘導が必要となるが、逆に近ければSPY-1による追尾精度が向上するため、イルミネーターの拘束時間は短くなる{{Sfn|池田|2020}}。近距離であればSPY-1多機能レーダーのみによるSM-2の終末誘導も可能とされており、同時対処能力は実質的に無制限ともいわれる{{Sfn|池田|2020}}。
{{-}}
 
[[ファイル:Fridtjof Nansen class frigate - detail view.jpg|250px|thumb|SPY-1F]]
== 採用国と搭載艦 ==
;SPY-1F
'''{{navy|United States}}'''{{Efn2|またこのほか、[[2003年]]には、海軍の退役艦から撤去されたSPY-1Aが国立暴風雨研究所{{Enlink|National Severe Storms Laboratory|NSSL}}に設置され、[[気象レーダー]]として運用されている。NSSLの保有機は[[アンテナ]]1面構成となっており、[[レドーム]]に収容されている<ref>{{Cite web|author=[[:en:National Severe Storms Laboratory|NSSL]]|year=2009|month=3|url=http://www.nssl.noaa.gov/news/backgrounders/nwrt.html|title=National Severe Storms Laboratory - Phased Array Radar Technology |format= PPT|language=英語|accessdate=2012年8月11日}}</ref>。}}
:D型をベースとしてレーダー・アンテナ素子を減少させ(4,350個から1,856個へ)、送信電力を落として小型軽量化したモデル。
* [[タイコンデロガ級ミサイル巡洋艦]]
:[[ノルウェー]]の[[フリチョフ・ナンセン級フリゲート]](5,121トン)に搭載された。アンテナの小型化と出力の低下によって最大探知距離が減少したほか、[[ミサイル防衛]]への使用には対応していないが、それ以外の機能についてはD型と同等である。また、D(V)型と同様の改良を施した'''SPY-1F(V)型'''も開発されている<ref name="Lockheed">Lockheed Martin "SPY-1 Family of Radars"による</ref>。
** [[タイコンデロガ (ミサイル巡洋艦)|1番艦]]から[[フィリピン・シー (ミサイル巡洋艦)|12番艦]]: SPY-1A
{{-}}
** [[プリンストン (ミサイル巡洋艦)|13番艦]]から[[ポート・ロイヤル (ミサイル巡洋艦)|27番艦]]: SPY-1B
;SPY-1K
* [[アーレイ・バーク級ミサイル駆逐艦]]: SPY-1D/D(V)
:レーダー・アンテナ素子をさらに減少させた(912個)SPY-1シリーズの最軽量モデル。
 
:現在のところ実際の搭載艦はないが、[[イスラエル]]に対して提案されているAFCON[[コルベット]](2,700トン)はSPY-1Kによるイージスシステムを目玉にしているほか、[[アメリカ合衆国|アメリカ]]の[[沿海域戦闘艦]]の一案である「[[フリーダム (沿海域戦闘艦)|フリーダム]]」にも搭載される計画がある<ref>ロッキード・マーティンLCSプログラム・チーム(『世界の艦船』2005年6月号)による</ref><ref name="Lockheed">Lockheed Martin "SPY-1 Family of Radars"による</ref>。
'''{{navy|Spain}}'''
* [[アルバロ・デ・バサン級フリゲート]]: SPY-1D
 
'''{{navy|Norway}}'''
* [[フリチョフ・ナンセン級フリゲート]]: SPY-1F
 
'''{{navy|Japan}}'''
* [[こんごう型護衛艦]]: SPY-1D
* [[あたご型護衛艦]]: SPY-1D(V)
* [[まや型護衛艦]]: SPY-1D(V)
 
'''{{navy|South Korea}}'''
* [[世宗大王級駆逐艦]]: SPY-1D(V)
 
'''{{navy|Australia}}'''
* [[ホバート級駆逐艦]]: SPY-1D(V)
 
== 脚注 ==
=== 注釈 ===
<references/>
{{notelist2}}
=== 出典 ===
{{Reflist|2}}
 
== 参考文献 ==
* {{Cite book|authorlink=:en:Norman Friedman|first=Norman|last=Friedman|title= The Naval Institute guide to world naval weapon systems 1997-1998|year=1997|publisher=[[:en:United States Naval Institute|Naval Institute Press]]|isbn=9781557502681|ref=harv}}
*[[大熊康之]]『軍事システム エンジニアリング』かや書房、2006年、35-115頁
* {{Cite book|first=Martin|last=Streetly|year=2005|title=Jane's Radar and Electronic Warfare Systems|edition=17th|publisher=[[:en:Janes Information Group|Janes Information Group]]|isbn=978-0710627049|ref=harv}}
*[[岡部いさく]](『世界の艦船』2006年12月号)による。
* {{Cite journal|和書|last=池田|first=徳宏|year=2020|month=9|title=計画経緯と運用構想 (特集 新型イージス艦「まや」のすべて) |journal=[[世界の艦船]]|issue=931|pages=69-77|publisher=[[海人社]]|naid=40022315205|ref=harv}}
*多田智彦「多機能レーダーの機能と発達」『世界の艦船』2008年3月号(通巻第687集)、76-81頁
* {{Cite book|和書|authorlink=大熊康之|last=大熊|first=康之|year=2006|title=軍事システム エンジニアリング|publisher=かや書房|isbn=4-906124-63-1|ref=harv}}
*[[野木恵一]]「世界の艦載多機能レーダー」『世界の艦船』2008年3月号(通巻第687集)、86-87頁
* {{Cite journal|和書|last=木下|first=郁也|year=1991|month=3|title=SPY-1とスカイ・ウォッチ (米ソの新型三次元レーダー)|journal=世界の艦船|issue=433|pages=94-97|publisher=海人社|naid=|ref=harv}}
*藤木平八郎「イージス・システム開発の歩み」『世界の艦船』2006年12月号(通巻第667集)、69-75頁
* {{Cite journal|和書|authorlink=江藤巌|last=野木|first=恵一|year=2007|month=5|title=米海軍の研究開発システム--イージス・システムを例にとって (特集・自衛艦の研究開発プロセス)|journal=世界の艦船|issue=674|pages=96-101|publisher=海人社|naid=40015404748|ref=harv}}
*山本紀義「イージスの眼 SPY-1レーダーの現状と将来」『世界の艦船』2003年2月号(通巻第607集)、90-91頁
* {{Cite journal|和書|last=山本|first=紀義|year=2003|month=2|title=イージスの眼 SPY-1レーダーの現状と将来 (最近の艦載レーダー)|journal=世界の艦船|issue=607|pages=90-91|publisher=海人社|naid=40005630580|ref=harv}}
*ロッキード・マーチンLCSプログラム・チーム「米LCS 2案の技術的特徴 ロッキード・マーチン社案」『世界の艦船』2005年6月号(通巻第643集)、82-87頁
*{{Cite web
|author=Lockheed Martin
|date=2006
|url=http://www.lockheedmartin.com/data/assets/corporate/press-kit/SPY-1-Radars-Brochure.pdf
|title=SPY-1 Family of Radars -Battle-Proven Naval Radar Performance-
|format=PDF
|language=英語
|accessdate=2009-1-29
}}
 
== 関連項目 ==
114 ⟶ 132行目:
* [[AN/SPY-7]]
* [[軍用電子機器の命名規則 (アメリカ合衆国)|軍用電子機器の命名規則]]
 
 
{{海上自衛隊のレーダ装置}}