「夏侯惇」の版間の差分

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[[233年]]([[曹叡]]の代)5月、魏の功臣の中で功勲が顕著な者として、夏侯惇は[[曹仁]]・程昱と共に曹操の廟庭に祭られた。功臣の合祀はたびたび行われたが、この三人が最初であった。
 
夏侯惇は軍の遠征中でも師を迎えて、熱心に授業を受けた。性格は清潔で慎ましやかであり、余財が出るたびに人々へ分け施し、金に不足したときは官吏に借りるなどし、利殖に励むことはなかった(『夏侯惇伝』)。その為か'''子供たちの教育には失敗'''しており、'''赤貧な家庭環境の反動で利殖に精を出した次男'''の[[夏侯楙]]以下、その品行は天下の鼻摘みとなった
 
許昌に最近まで残されていた夏侯惇の陵墓を発掘した際には、埋葬品がたった一振りの剣しかなかった<ref>『三国志 真の最強は誰だ?』[[Mediax Mook]]414 平成25年8月30日発行 ISBN 978-4-86201-444-3 29ページ</ref>。