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'''手島堵庵'''(てじまとあん、[[享保]]3年([[1718年]])~[[天明]]6年([[1786年]]))は、[[江戸時代]]中期の[[心学者]]。豪商[[上河蓋岳]]の子で、母は[[上河氏]]。子に[[手島和庵]]がいる。本名'''上河喬房'''。通称を'''近江屋源右衛門'''という。
 
18才の時に[[石田梅岩]]に師事。[[元文]]3年([[1738年]])開悟し、[[宝暦]]12年([[1773年]])頃に家業を和庵に譲る。その後は、[[心学]]の講説を行い、兄弟子たちの相次ぐ死もあって、名声をあげる。