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関ヶ原の戦いの混乱に乗じて伊予国での領土切り取りを謀った毛利氏は、現地でお家再興を狙う河野氏の旧臣や瀬戸内の[[海賊衆]]に働きかけて蜂起させた。[[安芸国]]竹原から出陣した数百艘におよぶ舟の将は能島水軍の[[村上元吉]]、因島水軍の[[村上吉忠]]ら[[豊臣秀吉]]の定めた海賊禁止令によって活動の場を失った海賊たちで、伊予国三津浜(現在の愛媛県松山市古三津)に上陸すると、現地の河野氏旧臣の[[平岡直房]]らと合流し松前城へ迫った。
 
これに対して守将の加藤嘉明の弟[[加藤忠明]]や[[足立重信]]、佃十成らは女子供を城内より逃がしたいと偽って猶予を求める間に城下の民衆を使って、さも毛利氏の侵攻を歓迎するかのような流言を行い、また[[宇和島城]]主[[藤堂高虎]]に援軍を求める使者を密かに出した。こうして油断しきって三津刈屋口に布陣していた敵陣に一気呵成に夜襲をかけ、あたり一面に火をかけると数で勝るはずの毛利軍はたちまち瓦解し、村上元吉をはじめほとんどの諸将を失ってしまう。
 
その後も毛利軍は諸城に立てこもって抵抗を続けるものの、勢いに乗った加藤軍に各個撃破された。この敗北により、河野氏のお家再興の望みは完全に絶たれ、海賊衆は活躍の場を完全に失うことなり、毛利氏は[[吉川広家]]らの画策した本領安堵の約束を反故にされる遠因ともなった。