「島津忠直 (信濃島津氏)」の版間の差分

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[[天正]]10年([[1582年]])、[[武田氏#甲斐武田氏|甲斐武田氏]]滅亡後、北信濃の領主となった[[森長可]]の組下に入ることを強要されたが拒み、[[芋川親正]]らと共に反抗した。[[本能寺の変]]後、[[森長可]]が退去したことにより[[上杉氏]]が北信濃を所領に組み込んだ際、[[長沼城 (信濃国)]]に復した。
 
その後、家督を嫡男の[[島津義忠]]に譲り、[[慶長]]3年([[1598年]])の[[上杉氏]]の[[会津]][[移封]]の際にはそれに従って信濃を去り、[[長沼城 (陸奥国)|陸奥長沼城]]を与えられた。同年、嫡男・義忠が死去したため、[[岩井信能]]の次男・[[島津利忠]]を義忠の娘婿にして家督を継承させた。
 
[[慶長]]9年(1604年)8月1日、死去。