「阪急嵐山線」の版間の差分

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== 歴史 ==
[[ファイル:Hankyu arashiyama line.jpg|thumb|上桂駅 - 桂駅間。路盤や架線柱は複線分の幅があるが、線路は単線。]]
[[京都電燈]]が所有していた鉄道敷設免許を譲り受け、[[京阪電気鉄道]]傘下の[[新京阪鉄道]]が複線で全線を開業させた。嵐山駅は6面5線構造であったが、当初予想したほどの需要が得られず、開業のわずか2年後には複線の設備を残したまま単線運行になった。{{要出典範囲|date=2021年4月|戦局の悪化で金属供出令により[[不要不急線]]として}}単線化され、現在に至っている。その名残で、路盤や架線柱は複線分の幅があり、橋台や橋桁が残っている部分もある。ただし、桂駅の京都本線との分岐部は、戦後の構内改造によって路盤が単線分に削られた。<!--今後、高架化や複線化する予定は無い。-->
* 1924年(大正13年)5月13日:京都電燈に対し鉄道免許状下付(葛野郡松尾村-乙訓郡[[海印寺村]]間)<ref>[{{NDLDC|2955664/5}} 「鉄道免許状下付」『官報』1924年5月15日](国立国会図書館デジタルコレクション)</ref>
* 1927年(昭和2年)10月13日:鉄道敷設権を新京阪鉄道へ譲渡(許可)<ref>[{{NDLDC|2956702/6}} 「鉄道敷設権譲渡」『官報』1927年10月18日](国立国会図書館デジタルコレクション)</ref>