「ライヒスマルク」の版間の差分

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ライヒスマルクは、[[西ドイツ]]で[[ドイツマルク]]、[[ドイツ民主共和国|東ドイツ]]では[[東ドイツマルク]](Mark der DDR。あるいはオストマルク(Ostmark))に切り替えられた。
 
ライヒスマルクは、[[1923年]]にピークに達した[[ヴァイマル共和政のハイパーインフレーション|ハイパーインフレーション]]に対処するため、[[パピエルマルク]]の代替として1924年に導入された。この際のライヒスマルクとパピエルマルクの交換レートは、1:1,000,000,000,000(1:1兆)であった。それは4.2ライヒスマルク:1ドルのレートで[[ドル]]に連動した。経済を均衡化し安定させるため、パピエルマルクは直接ライヒスマルクと両替されず、[[レンテンマルク]](ドイツ国内の土地を担保とし、[[ドイツ・レンテン銀行]]によって保証された臨時通貨)と両替された。
 
「マルク」は古ドイツ語で「通貨」の意でもあり、[[12世紀]]以来使用されている。マルクは[[1871年]]の[[ドイツ帝国]]統一後にドイツの主要な通貨となった。しかしながら、他の多くの現地通貨が[[20世紀]]前半までドイツで共存した。