「大杉栄」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
編集の要約なし
タグ: モバイル編集 モバイルウェブ編集 改良版モバイル編集
タグ: モバイル編集 モバイルアプリ編集 Androidアプリ編集
19行目:
明治・大正期における日本の代表的な[[アナキズム|'''アナキスト''']]である。[[幸徳事件|大逆事件]]の後に[[マルクス主義者]]の中で優勢になったアナ系<ref>[[アナルコサンディカリスム|アナルコ・サンディカリスム]](無政府主義)系の略。</ref>の大立者であったために危険視され、[[関東大震災]]直後、[[憲兵 (日本軍)|憲兵隊]]司令部で殺害される。([[甘粕事件]])
 
[[自由恋愛主義|自由恋愛論者]]で、居候中に[[堺利彦]]の義妹[[堀保子]]<ref>文学者の堀成之(紫山)の娘。堺利彦の妻の妹。</ref>を[[強姦|強引に犯して]]結婚する<ref>市原正恵「もうひとりの明治社会主義者――深尾韶の生涯」『思想の科学』第75巻、思想の科学社、1977年、83-97頁。</ref>。当時、保子は[[深尾韶]]と婚約していたが、これは破棄された。だが、栄は保子と入籍せず、[[神近市子]]に続き、[[伊藤野枝]]とも愛人関係となって、野枝は長女魔子<ref>のちに改名して真子</ref>を身ごもった。女性達からは常に経済的援助を受けていたが、野枝(とその子供)に愛情が移ったのを嫉妬した市子によって刺された[[日蔭茶屋事件]](日影茶屋事件)では大杉は瀕死の重傷を負った。
 
その後、保子と離別、市子は入獄したので、野枝と家庭を持つが、依然として入籍はせず、次女エマ<ref>のちに改名してのち幸子</ref>、三女エマ<ref>のちに改名しての笑子</ref>、四女ルイズ<ref>のちに改名して留意子</ref>、長男ネストル<ref>のちに改名して栄</ref>をもうけた。次女エマ以外は大杉・伊藤の死後、伊藤の実家に引き取られて、[[戸籍]]を届ける時に改名されたものである。