「峰崎部屋」の版間の差分

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2012年4月に、同じ二所ノ関一門に所属する[[花籠部屋]]が部屋の経営難を理由として、同年5月場所後にも峰崎部屋と合併する方向で調整が進められていることが明らかとなり、同年5月場所後の同年5月24日に開かれた日本相撲協会理事会にて花籠部屋の峰崎部屋への吸収合併が正式に承認され、同日付で15代[[花籠]](元[[関脇]]・[[太寿山忠明|太寿山]])ら花籠部屋の所属年寄や力士ら13人が峰崎部屋へ移籍した。
 
部屋の創設以降、「叩き上げ力士」の育成に力を入れながらも、これまで自部屋の生え抜きとなる関取は育っていないまま、花籠部屋との合併により関取経験者の[[荒鷲毅|荒鷲]]が所属力士に加わり、2012年9月場所での再十両昇進と同時に峰崎部屋から初めての関取誕生となった。荒鷲は2014年5月場所で新入幕を果たし、峰崎部屋から初めての幕内力士にもなった。
 
7代峰崎は2021年5月に65歳となって日本相撲協会を停年退職するため、同年4月1日の理事会で峰崎部屋閉鎖が承認され、7代峰崎、所属力士5人、行司・[[木村銀治郎 (3代)|3代木村銀治郎]]は[[芝田山部屋]]へ、15代花籠と行司・[[木村光之助]]は[[高田川部屋]]へ、行司・木村一馬と呼出・弘行、同・正男、床山床明は[[西岩部屋]]へ転属することになった<ref>{{Cite web|title=峰崎部屋閉鎖を承認 力士全5人は芝田山部屋に転属 - 大相撲 : 日刊スポーツ|url=https://www.nikkansports.com/battle/sumo/news/202104010000678.html|website=nikkansports.com(2021年4月1日)|accessdate=2021-04-01|language=ja}}</ref>。
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=== 幕内 ===
==== 前頭 ====
*[[荒鷲毅]](前2・[[モンゴル]])※花籠部屋から移籍、入幕は峰崎部屋時代。
 
==エピソード==
*2012年11月に実施された[[プロ野球]][[12球団合同トライアウト]]では、トライアウトの受検選手に対する新弟子募集の勧誘活動を行って話題となった。翌2013年11月に実施された12球団合同トライアウトでも同様の勧誘活動を行っている
 
*2012年11月に実施された[[プロ野球]][[12球団合同トライアウト]]では、トライアウトの受検選手に対する新弟子募集の勧誘活動を行って話題となった。翌2013年11月に実施された12球団合同トライアウトでも同様の勧誘活動を行っている。
*2013年10月には所属行司・[[木村銀治郎_(3代)|木村堅治郎(現・銀治郎)]]の発案により、新弟子勧誘のために各所で配布するチラシを制作した。デザイナーにデザインを依頼して、横綱のイラストが描かれたものと、入門から横綱への昇進までの相撲人生を[[双六]]形式として表現した内容のものが各1000枚ずつ製作された。チラシの裏面には力士の給料についてや現役引退後の事情なども掲載されていた。<ref>[http://www.nikkansports.com/sports/sumo/news/p-sp-tp3-20131023-1207942.html すごろくで勧誘チラシ 峰崎部屋] [[日刊スポーツ]] 2013年10月23日記事</ref>