「青山学院大学」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
タグ: 2017年版ソースエディター
タグ: 2017年版ソースエディター
55行目:
(沿革節の主要な出典は公式サイト<ref>{{Cite web |url=https://www.aoyama.ac.jp/outline/history/ |title=沿革 |publisher=青山学院大学 |accessdate=2019-03-21}}</ref><ref>{{Cite web |url=https://www.aoyamagakuin.jp/history/ |title=青山学院の歴史 |publisher=青山学院大学 |accessdate=2019-03-21}}</ref><!-- 別の出典で記事を追加するには出典をその追加記事の後に脚注を導入して付け加えて下さい。 -->)
 
=== 略歴 ===
 
{{Gallery
|width=250
|height=300
|lines=1
 
|ファイル:Robert Samuel Maclay 3.jpg|初代院長・ロバート・S・マクレイ
|File:青山學院創立者 ドーラ・E・スクーンメーカー.jpg|創立者・[[ドーラ・E・スクーンメーカー]]
 
|File:青山學院創立者 ジュリアス・ソーパー.jpg |創立者・[[ジュリアス・ソーパー]]
 
|File:青山學院創立者ロバートSマクレイ.jpg |創立者・[[ロバート・S・マクレイ]]
 
|File:Tsuda Sen.jpg|草創期の功労者・[[津田仙]]
 
|ファイル:Robert Samuel Maclay 3.jpg|初代院長・ロバート・S・マクレイ
 
|File:HONDA Yoitsu.jpg|第二代院長・[[本多庸一]]
 
|File:Gideon Draper.jpg|理事長・[[ギデオン・ドレーパー]]
=== 略歴 ===
 
{{Gallery
|width=250
|height=300
|lines=1
|File:青山學院創立者 ドーラ・E・スクーンメーカー.jpg|創立者・[[ドーラ・E・スクーンメーカー]]
|File:青山學院創立者 ジュリアス・ソーパー.jpg |創立者・[[ジュリアス・ソーパー]]
|File:青山學院創立者ロバートSマクレイ.jpg |創立者・[[ロバート・S・マクレイ]]
}}
}}
 
[[ファイル:Goucher hall.jpg|220px|right|thumb|ガウチャーホール(明治20年建設)、現存せず]]
 
[[学校法人青山学院]]は、[[明治]]7年([[1874年]])に[[ドーラ・E・スクーンメーカー|D.E.スクーンメーカー]]によって[[麻布]]本村町に設立された「女子小学校」と明治11年([[1878年]])に[[ジュリアス・ソーパー]]によって[[築地]]に設立された男子校の「耕教学舎」、[[明治]]12年([[1879年]])に[[ロバート・S・マクレイ]]によって[[山手 (横浜市)|横浜山手]]に設立された男子校「美會神学校」を母体としており、[[2014年]]に創立140周年を迎える。それぞれの学校は全て[[メソジスト監督教会|米国メソジスト監督教会]]から派遣された[[宣教師]]によって設立されており、現在でも青山学院はキリスト教[[プロテスタント]]・[[メソジスト]]のミッションスクールである。
{{Gallery
 
|width=250
|height=300
|lines=1
|File:John Franklin Goucher, 1845-1922 (cropped).jpg|青山キャンパス購入を手掛けた[[ジョン・F・ガウチャー]]
|ファイル:Goucher hall.jpg|ガウチャーホール(明治20年建設)、現存せず
|File:HONDA Yoitsu.jpg|第二代院長・[[本多庸一]]}}
現在の[[青山 (東京都港区)|青山]]の地に校舎を構えたのは、東京英学校(耕教学舎の後身)と、美曾神学校が合同することとなった明治15年([[1882年]])の翌年のことである。合同に際して「[[東京英和学校]]」と改称し、予備学部、高等普通学部、神学部が設置され、敷地内に欧風建築が立ち並んだ。また青山キャンパスの購入にあたって莫大な私財を投じた[[ジョン・F・ガウチャー]]が、日本に“Anglo Japanese University of Tokio and Awoyama”(東京青山英和大学)というメソジスト派の大学を設立するという将来発展のヴィジョンを示していた。その後、[[本多庸一]]が校長を務めていた[[1894年]]に、現在の青山学院へと改称する。[[1899年]]に[[私立学校令]]のみの適用を受ける各種学校以外の学校での宗教教育を禁じる[[文部省]]訓令第12号が公布されると、青山学院はキリスト教教育を続けるために各種学校となることを選び、上級学校への進学や徴兵猶予等の特典を失うことになった<ref name="k-doumei">{{Cite web|author=[[キリスト教学校教育同盟]]|title=一般社団法人キリスト教学校教育同盟の概要(沿革)|url=http://www.k-doumei.or.jp/gaiyo/enkaku.htm|accessdate=2018-09-30}}</ref><ref name="chugakko">それまでは、[[中学校令]]に基づく「尋常中学部」を有していたが、中学部を廃止するとともに中学校令の適用を受けない「中等科」を新たに設置した。 参考文献:{{Cite book|和書|author=[[土肥昭夫]]|title=天皇とキリスト 近現代天皇制とキリスト教の教会史的考察|chapter=第九章 天皇制確立期のキリスト教系私学|year=2012|publisher=[[新教出版社]]|pages=220,230,248頁|isbn=9784400213178}}</ref>。しかし、本多院長らが文部省に訓令の撤回や適用除外の運動をし続けた結果、[[1901年]]にそれらの特典を回復<ref name="k-doumei" /><ref name="tokuten">[[1901年]]5月に中等科が[[徴兵令]]による認定を受け(文部省告示第102号)、9月に高等科も徴兵令による認定を受けた(文部省告示第173号)。また、中等科の卒業生は[[旧制高等学校]]の受験資格を得ることになった。 参考文献:{{Cite book|和書|author=土肥昭夫|title=天皇とキリスト 近現代天皇制とキリスト教の教会史的考察|chapter=第九章 天皇制確立期のキリスト教系私学|year=2012|publisher=新教出版社|pages=257-258頁|isbn=9784400213178}}</ref>。[[1904年]]には、青山学院高等科・神学部、及び青山女学院英文専門科(女子小学校の後身)が[[専門学校令]]に基づく[[旧制専門学校]]の認可を受ける<ref name="senmon">[[1904年]]2月に高等科が[[専門学校令]]により設置認可(文部省告示第30号)。また、神学部と青山女学院英文専門科も4月1日より専門学校令に依ることが認可された(文部省告示第44号・第63号)。</ref>。その後、[[1927年]]に青山女学院(女子小学校の後身)との統合が文部省に認められ、統合に至った。そして戦後になり、[[1949年]]の[[学制改革]]に際して、青山学院大学として開校するに至った。