「ツァラトゥストラはこう語った」の版間の差分

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===第1部===
ツァラトゥストラは30歳の時、故郷を去って山に入り、10年間孤独を楽しんでいた。ある日、登ってくる朝日を仰ぎ、その光のように自分の持てるものを分配し、与えるべきことを悟って、山を下り、民衆の中に「下りて」いく。
その途中で1人の森の聖者に出会う。聖者はツァラトゥストラに人間たちのもとに下りていくのを思いとどまるように言う。彼は、聖者に自分はあなたのように仕えるべき「神」を持たないこと、自分は「人間を愛している」ことを告げて立ち去る。聖者と別れた後、ツァラトゥストラは、あの聖者はまだ神が死んだことを聞いていないのだ、という。彼は町の市場に立って、綱渡りの曲芸に浮かれている民衆たちに「超人」を説く。超人とは、神やその他の人間以外の原理に寄って、人間を克服するのではなく、人間自身の可能性に基づいて、現在の人間自身を克服するものである、と。かの神の死し超人は、呼応しあっている。しかし、現状に満足している民衆は彼の言葉に耳を貸さない。最初の日、彼の収穫は、道化師によって追い落とされた綱渡り師の死体だけであった。その死体を背負って、彼は山に帰る。<br>
彼は一般大衆に向かって教説を説くことの愚かさを悟り、友を求める決心をする。そこで彼は再び町に出て、「超人」を説き、若干の友を得る。「五色の牛」と言う名の町で、彼は精神の三段階の変化、どのようにして精神が駱駝となるのか、駱駝が獅子となるのか、そして最後に獅子が幼子になるのかということ、を語る。続いて、徳の講壇として、市民道徳の浅はかさを、世界の背後を説く者では、すべての超越的な世界、宗教的な彼岸の世界勝手な妄想であること、を説く。友が弟子となると、彼は弟子たちが師の信者からさらに進んで、自律的な人間となることを期待して、彼らと別れる。
 
===第2部===
ツァラトゥストラらは、再び山に入って、歳月が流れた。ある朝、彼は「鏡を持った幼子」の夢を見る。その鏡には、自分の絵姿ではなく、嘲り笑う悪魔の奇っ怪な顔が現れる。彼は、彼の敵たちが、自分の教えを、超人の理想を歪め、危機に陥れていることを悟る。そこで、彼は再度山を下り、弟子たちを救おうと決心する。彼の愛する知恵は、「荒々しい知恵」である。ツァラトゥストラは、ナポリ湾に浮かぶ[[イスキア島]]を思わせるような至福の島々を訪れて、説教を行う。
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===第3部===
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