「大日本帝国陸軍」の版間の差分

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この三長官の補佐[[機関]]として、「省部」や「中央」とも呼称される'''[[陸軍省]]'''・'''[[参謀本部 (日本)|参謀本部]]'''・'''[[教育総監部]]'''の3つの[[官衙]](役所)が設けられており、陸軍大臣(陸軍省)が[[軍政 (行政)|軍政]]・[[人事]]を、参謀総長(参謀本部)が[[軍令]]・[[作戦]]・[[動員]]を、教育総監(教育総監部)が[[教育]]をそれぞれ掌っていた。また、三機関の序列第2位の次席相当職として'''陸軍次官'''([[次官]]、陸軍省)・'''参謀次長'''([[次長]]、参謀本部)・'''教育総監部本部長'''([[本部長]]、教育総監部)がある。
 
[[1938年]](昭和13年)12月、航空戦力の拡張・独立および統率柔軟化のため'''[[陸軍航空総監部]]'''が新設。'''航空総監'''(総監)を長とし、主に[[陸軍航空総監部#管下学校|航空関連学校]]など陸空軍の教育を掌った<ref group="注">航空総監以下、幹部は[[1910年代]]から存在する陸軍航空本部幹部を兼ねる</ref>。第二次大戦最末期には航空関連学校(一部[[軍学校#補充学校|補充学校]]を除く)ともども[[軍隊]]化され、航空総監部は廃止、[[航空総軍]]に改編された。
 
参謀本部は[[戦時]]・[[事変]]時に陸海軍の最高統帥機関(諸外国軍における最高司令部に相当)として設置される'''[[大本営]]'''において'''大本営陸軍部'''となり、大元帥の名において発する大陸命を作成する存在であるが、これをもって参謀総長がいわゆる陸軍最高指揮官(陸軍最高司令官・陸軍総司令官に相当)となるわけではない。なお、教育総監(教育総監部)は帝国陸軍の教育を掌握する建前であるが、[[憲兵]]・[[経理]]・[[衛生]]・[[法務]]や[[機甲部隊|機甲]]・[[空軍|航空]]、[[参謀]]・[[諜報]]といった特定職務に関係する学校等は、それぞれ陸軍省・参謀本部・航空総監部やその[[外局]]の管轄である。