「松本薫 (柔道)」の版間の差分

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高校は金沢から上京して[[藤村女子高等学校|藤村女子高校]]に進学した。高校1年の3月に[[全国高等学校柔道選手権大会|全国高校選手権]]の52 kg級に出場するが、3回戦で[[埼玉栄中学校・高等学校|埼玉栄高校]]2年の三木千尋に有効を取られて敗れた。高校2年になると57 kg級に階級を上げた。8月には[[全国高等学校総合体育大会柔道競技大会|インターハイ]]に出場して決勝まで進むと、道場の1年先輩でその年の[[2004年世界ジュニア柔道選手権大会|世界ジュニア]]で優勝することにもなる[[石川県立津幡高等学校|津幡高校]]3年の[[広村麻衣]]を判定(3-0)で破って優勝した<ref>[インターハイPart1」近代柔道 ベースボールマガジン社、2004年9月号、20頁</ref>。
 
しかし、[[三井住友海上火災保険|三井住友海上]]と合同で練習する藤村女子高校の練習方法が肌に合わず<ref>[http://www.jiji.com/jc/c?g=spo_30&k=2012073100023 松本、攻撃柔道が結実=57キロ級で日本に初の金] [[時事通信]] 2012年7月31日{{リンク切れ|date=2021年4月}}</ref>、また、東京の生活が馴染めなかったこともあり<ref name="special">[松本薫さんインタビュー] スポーツで生きていこう - 大学・専門学校・各種スクール検索サイト 2012年7月1日</ref>、高校2年の10月には郷里の[[金沢学院東高等学校|金沢学院東高校]]に転校することとなった。これにより、高校3年の時は[[全国高等学校体育連盟]]の規約でインターハイには出場できなかったものの、9月の[[全日本ジュニア柔道体重別選手権大会|全日本ジュニア]]では、決勝で[[常翔学園高等学校|大阪工大高校]]1年の[[牧志津香]]を[[横四方固]]で破ったのをはじめ、オール一本勝ちして優勝を果たした<ref>[http://www.s-move.jp/item_10177.html 全日本女子ジュニア柔道、松本薫がオール一本で優勝]</ref>。一方で、高校2年の1月には初めてのシニアの国際大会となる[[ワールドカップ・ソフィア|ブルガリア国際]]に出場すると、準決勝でオーストリアの[[サブリナ・フィルツモザー]]に[[腕挫十字固]]で敗れるが3位となった<ref name="alljudo"/>。
高校3年の8月にはドイツジュニア国際に出場して、決勝で地元ドイツの選手を破って優勝した<ref>[http://www.german-judo.de/de/2005/idem_u20/index.php?l=de Internationale Deutsche Meisterschaften U20 2005]</ref>。