「岡村柿紅」の版間の差分

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既に1921年秋から、合評会への病欠が始まっていて、寿二郎没後の1924年秋には入院治療し、転地療養もしたが、病が募り、腸も損ない、自宅で亡くなった。
 
墓は[[鶴見 (横浜市)|鶴見]]の[[總持寺]]にある。
 
故人は市村座の経営に関わって劇作の滞ったことを悔いていたと、[[久保田万太郎]]が書いている<ref>『久保田万太郎全集第13巻』、中央公論社(1967)p.103</ref>。