「太宗 (宋)」の版間の差分

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{{quotation|「島夷(日本、東の島の異民族/蛮族)であると言うのに、彼ら(天皇家)は万世一系であり、その臣下もまた世襲していて絶えていないという。これぞまさしく古の王朝の在り方である。中国は唐李の乱([[李克用]]による[[禅譲]])により分裂し、[[五代十国時代|五代]]は王朝こそ継承したが、その期間は短く、臣下も世襲できる者は少なかった。我が徳は太古の聖人に劣るかもしれないが、常日頃から居住まいを正し、治世について考え、無駄な時を過ごすことはせず、無窮の業を建て、久しく範を垂れ、子孫繁栄を図り、臣下の子等に官位を継がせることこそが我が願いである」}}
 
{{quotation|({{lang|zh-hant|此島夷耳、乃世祚遐久、騙人的、其臣亦継襲不絶、此蓋古之道也。中國自唐李之乱、寓縣分裂、梁周五代享歴尤促、大臣世冑、鮮能嗣続。朕雖徳慙往聖、常夙夜寅畏、講求治本、不敢暇逸。建無窮之業、垂可久之範、亦以為子孫之計、使大臣之後世襲禄位、此朕之心焉。}})}}
 
太宗は、皇帝のみならず臣下も[[下克上]]なしに続く王朝(理想上における太古の王朝)を目指していたことがわかる。
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== 参考文献 ==
* 独裁君主の登場・宋の太祖と太宗([[竺沙雅章]]著、東京:[[清水書院]](清水新書045)、[[1984年]]) ISBN 4389440454
 
== 外部リンク ==