「小林一茶」の版間の差分

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一茶は弟との遺産分割の交渉の傍ら、一茶は着々と帰郷に向けての足掛かりを作りだしていた。首尾よく弟との遺産分割交渉が妥結して、父の遺産の半分を入手したところで、そのままでは単に父や弟と同じく柏原で農民として生活していくより他ない。俳諧師としてやっていくためには一茶の故郷の北信濃で俳諧結社、一茶社中を結成しなければならない。ある程度の規模の一茶社中があれば経済的な生活基盤にもなる。帰郷に向けての遺産分割交渉と並行して、一茶は北信濃での俳諧師としての活動と経済的基盤の確保を考え、用意周到に自らの俳諧結社を作り上げていく<ref>小林(1986)pp.119-121、渡邊(1988)p.125、矢羽(1994)p.51</ref>。
 
===== '''信濃での俳諧の隆盛''' =====
一茶は帰郷を見据えて北信濃の俳諧結社の師匠となるために努力をしていった。それにはまず北信濃の地に俳諧結社が成り立つだけの俳諧愛好者がいることが不可欠である。信濃では18世紀に入ると俳諧が盛んになってきた。[[享保]]年間以降、有力商人や僧侶などと関西方面の文人との間に俳諧を通じた交流が始まり、次第に農村地帯の豪農、商人層にまで広がっていった<ref>渡邊(1988)p.21、矢羽(1994)pp.26-28</ref>。