「キネティック・アート」の版間の差分
削除された内容 追加された内容
修正 タグ: モバイル編集 モバイルウェブ編集 改良版モバイル編集 |
James0000001 (会話 | 投稿記録) m 誤りの訂正 タグ: 差し戻し済み ビジュアルエディター |
||
1行目:
{{出典の明記|date=2012年12月}}
'''キネティック・アート'''
キネティック・アートは、カルダーをはじめ、、[[ニキ・ド・サンファル]]の二度目の夫[[ジャン・ティンゲリー]]、[[ジョージ・リッキー]]([[:en:George Rickey]])、[[新宮晋]]、[[飯田善国]]らの作品が[[パブリック・アート]]として日本でも各地に設置されており、すでに一定の認知を獲得している。このキネティック・アートという用語が定着したのは1950年代のことである。その確立においてカルダーの作品が決定的な意味をもったため、しばしばカルダーをもってキネティック・アートが創始されたと記述されることがある。これを必ずしも誤りとはいえないが、立体作品に動きを採りこむ試みそのものは、当然のことながらカルダー以前からある。
[[ナウム・ガボ]]([[:en:Naum Gabo]])が[[1920年]]に公表した「{{ill2|リアリスト宣言|en|Realistic Manifesto}}」は、美術の領域で[[構成主義]]の語を肯定的に用いた最初の例とされるが、「キネティック」の初出もまたこの宣言である。その大部分は現存しないが、ガボみずから実験的な作品を制作している。[[マルセル・デュシャン|デュシャン]]も1920年代以降に一連の「回転する作品」を発表している(デュシャンは「モビール」の命名者でもある)。そこには錯視作用(残像効果)と動きとが同時に採りこまれたものもある。またこれら以前にも、すでに20世紀初頭において、機械文明に新たな美の可能性を見た[[未来派]]たちは「動く彫刻」を志向していたし、デュシャンの[[レディメイド]]「自転車の車輪」([[1913年]])も、素朴ではあっても「動き」を採りいれた作品に違いはない。さらにいうなら、花火や噴水も古典的な「キネティック・アート」であり、要は何をもって美術とするかの定義次第である(それだけ定義が曖昧でもある)。
同様に未来においても「キネティック・アート」は、美術の境界が曖昧化するとともに、絶えざる拡張が予想されるジャンルである。特に[[インスタレーション]]の分野では、点灯したロウソクをそのまま使った[[ナムジュン・パイク]]の作品、生きた蟻が巣穴を掘る「造形」を鑑賞させる[[柳幸典]]の作品、腐っていく魚を作品にして物議をかもした[[イ・ブル]]など、一回性の「動き」を作品化することが珍しくなくなって
{{Commonscat|Kinetic art}}
|