「エスクデロ競飛王」の版間の差分

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その後は度々負傷で離脱することもあったが、最終的には浦和加入後最多となる公式戦30試合に出場した。
 
[[2010年のJリーグ|2010年]][[3月6日]]の開幕戦([[鹿島アントラーズ]]戦)でスタメン出場を果たしたが、その後は度重なる負傷に悩まされ復帰しては再発をして離脱するを繰り返し、前年より出場試合数は減ってしまった。ただし、[[8月21日]]の[[湘南ベルマーレ]]戦、[[9月25日]]の[[アルビレックス新潟]]戦では追加点、[[11月27日]]の[[川崎フロンターレ]]戦では試合終盤に同点ゴールを決めた。
 
[[2011年のJリーグ|2011年]]は終盤戦まで出場機会に恵まれなかったが、監督が[[堀孝史]]に交代後は1トップのFWとして定着し、高い身体能力を生かしたプレーで前線の起点になっていたが、[[11月26日]]の[[アビスパ福岡]]戦の前半に相手GKと接触した際に負傷し途中交代、左半膜様筋損傷と診断され<ref>[http://www.urawa-reds.co.jp/topteamtopics/エスクデロ-セルヒオについて/ エスクデロ セルヒオの怪我について]</ref>、以降全ての公式戦を欠場した。
 
[[2012年のJリーグ|2012年]]は途中交代でリーグ戦1試合に出場するに留まった。同年7月17日、[[Kリーグ]]・[[FCソウル]]へ[[期限付き移籍]]が発表された。移籍後はスタメンを勝ち取り、主力として2年ぶりのリーグ優勝に貢献した。同チームに所属する日本国籍の選手は、[[前園真聖]](当時のチーム名は安養LGチーターズ)以来2人目となる。
シーズン終了後の同年12月にFCソウルに完全移籍した。
 
[[2013年]]は背番号を9に変更し、2012年に引き続き主力としてプレー。一時は調子を落としたが監督の[[崔龍洙]]からのアドバイスから建て直し、チームの初[[AFCアジアチャンピオンズリーグ]]決勝進出に貢献した。決勝では、自身初出場し(浦和レッズ在籍時にチームは決勝に出場したが、ベンチ外だった)1stレグで先制点をあげ、その後逆転を許したが[[デヤン・ダミヤノヴィッチ]]のゴールをアシストし同点に追いついた。2ndレグでも再びダミヤノヴィッチのゴールをアシストし同点に追いついたが、アウェーゴールの差で優勝は逃した。
 
2015年2月に[[中国サッカー・スーパーリーグ]]の[[江蘇蘇寧足球倶楽部|江蘇]]へ移籍<ref>{{Cite web |url= http://www.footballchannel.jp/2015/02/25/post73808/|title=元浦和のエスクデロが中国移籍を公表|date=2015-2-25|accessdate=2016-2-24|publisher=フットボールチャンネル}}</ref>。同年は主力として活躍したが、翌年オフに江蘇が行なった大補強の影響を受けて外国人枠から外され、2016年の2月13日に契約解除となった。
 
2016年に完全移籍により[[京都サンガF.C.]]へ加入した<ref name=sanga160224>{{Cite press release|url=https://www.sanga-fc.jp/news/p/4722|title=エスクデロ 競飛王 選手 加入のお知らせ|publisher=[[京都サンガF.C.]]|date=2016-2-24|accessdate=2018-7-6}}</ref>。