「杉 (松型駆逐艦)」の版間の差分

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→‎建造から練習部隊: レイテにて桐とともに落伍した部分について、明らかに桐視点の記述をそのまま移植しただけで済ませている部分があったため、手直し
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翌[[10月24日]]、上空警戒にあたっていた「瑞鶴」の[[零式艦上戦闘機|零戦]]1機が着艦に失敗して海上に墜落し、「桐」と「杉」が捜索を行う。この分離について『戦史叢書56巻』240ページでは「小沢長官(瑞鶴)は燃料不足になった桐に杉を付し[[台湾]][[高雄市|高雄]]に退避させた」と記述している{{#tag:Ref|『戦史叢書56 海軍捷号作戦(2)』240頁{{Sfn|戦史叢書56|1972|p=240}}(引用開始)一七〇〇過ぎ、小澤長官は、燃料不足になりつつある駆逐艦桐を高雄に向け分離させることを決意した。同長官は自隊の警戒兵力の不足するのを覚悟の上で、さらに駆逐艦杉をもこれに付した。/こうして、「桐」と「杉」は主隊から分離し、爾後の警戒兵力は軽巡三隻(多摩、五十鈴、大淀)と駆逐艦二隻(槇、桑)となった。(引用おわり)|group="注"}}。
捜索後、同24日深夜には[[第四航空戦隊]]{{#tag:Ref|(昭和19年10月24日、火曜日){{Sfn|日向、追憶|1977|p=97}}(中略)1800頃本隊指揮官より前衛(〈将旗〉日向、伊勢、秋月、若月、涼月、霜月)は敵方に進出残敵を撃滅すべき命あり、航空戦の戦果詳ならず、敵兵力の位置亦不明(以下略)〔 註、秋月型[[涼月 (駆逐艦)|涼月]]は出撃直前に被雷して内地で修理中{{Sfn|激闘駆逐艦隊|1987|pp=128-129|ps=比島沖海戦}}。 〕|group="注"}}(日向<!-- 四航戦司令官座乗、旗艦 -->、伊勢){{Sfn|日本空母戦史|1977|p=749}}及び[[秋月型駆逐艦]]4隻(初月、若月、秋月、霜月)からなる機動部隊前衛部隊に「桐」と「杉」は再合流、前衛部隊に後続する事とした<ref>『松型駆逐艦「桐」』, pp.51</ref>。しかし同時刻に上空を飛行していた空母「[[インディペンデンス (CVL-22)|インディペンデンス]]」所属の夜間哨戒機を発見し、同機の発した無線通信{{#tag:Ref|『[http://www.cv6.org/ship/logs/action19441022-0056.htm USS Enterprise (CV6) Action Report 22-31 October 1944]』によれば、同機は午前2時5分に「{{coor dm|16|50|N|125|10|E|}}の地点で東進する2つのグループに分かれた日本軍部隊を発見した」という報告を行っている。|group="注"}}が艦内電話に混線した事などもあり、川畑桐駆逐艦長川畑誠少佐はこの前衛部隊を米軍機動部隊であると誤認、松型2隻(桐、杉)で反転離脱する事となった<ref>『艦長たちの太平洋戦争<続篇>』, pp.245。尚、同証言内においても川畑元艦長は合流した部隊が米軍のものであるとの認識を示している。</ref><ref>『松型駆逐艦「桐」』, pp.52</ref>。その後、「桐」は「燃料の余裕がない」との機関長の進言もあって「杉」とともに[[高雄市|高雄]]に向かったい、「杉」もこれに同行している<ref name="a">雨倉, 96ページ</ref>。
23時53分<ref>『機動部隊本隊 捷一号作戦戦闘詳報』C08030036600, pp.39</ref>、小沢長官は「前衛(四航戦)と杉は本隊に合同せよ。桐は[[奄美大島]]で補給した上で合同せよ」と命じた{{#tag:Ref|機動部隊本隊電令作第一五号(1KdF機密第二四二三五三番電){{Sfn|戦史叢書56|1972|pp=241-242}} 一 本隊二十五日〇六〇〇地点「ヘンホ33」〔 北緯18度30分、東経126度30分 〕針路一四〇度速力十六節 前衛及杉ハ本隊ニ合同スベシ/二 桐ハ単独奄美大島ニ回航補給ノ上速ニ合同スベシ |group="注"}}。この命令があったものの、「桐」と「杉」は機動部隊と再合流できなかった。このため2隻とも[[10月25日]]の[[レイテ沖海戦#10月25日 エンガノ岬沖海戦|エンガノ岬沖海戦]]に参加していない<ref name="a" />。[[10月26日]]午前9時30分に高雄市到着、つづいて奄美大島に向かい29日着{{Sfn|戦史叢書56|1972|p=452}}。補給部隊のタンカー「たかね丸」(日本海運、10,021トン)から200トンの重油を補給してもらった{{Sfn|戦史叢書56|1972|p=454}}<ref>『機動部隊本隊 捷一号作戦戦闘詳報』C08030036700, pp.12</ref>。特務艦「[[室戸 (給炭艦)|室戸]]」の生存者158名{{#tag:Ref|「室戸」は10月22日に[[薩南諸島]]近海でアメリカ潜水艦[[シードッグ (潜水艦)|シードッグ]] (''USS Sea Dog, SS-401'') に撃沈された{{Sfn|補助艦艇奮戦記|2016|p=274|ps=室戸(むろと/運送艦)}}。|group="注"}}を乗せ、「桐」とともに10月29日に奄美大島を出港し、翌10月30日に[[呉市|呉]]に帰投した<ref>『第十一水雷戦隊戦時日誌』C08030127700, pp.34</ref>。
「杉」と共に出撃した十一水戦の軽巡「多摩」はアメリカ潜水艦[[ジャラオ (潜水艦)|ジャラオ]]に撃沈され、全乗組員が戦死した{{Sfn|戦史叢書56|1972|pp=443-444|ps=米側資料による「多摩」の最期}}