「フラヴィオ・アンブロゼッティ」の版間の差分

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'''フラヴィオ・アンブロゼッティ'''('''Flavio Ambrosetti'''、[[1919年]][[10月8日]] - [[2012年]][[8月21日]])は、[[スイス]]の[[ジャズ]]・[[ヴィブラフォン]]奏者、[[サックス]]奏者、エンジニアである。
 
アンブロゼッティの主なキャリアはエンジニアであった。ジャズ・サークルにおける彼への称賛は、たまにミュージシャンとして活動することからきている。子供の頃にピアノを学び、十代でテナーサックスとアルトサックスを演奏することを学んだ。彼はチューリッヒの工学学校に通い、第二次世界大戦中にリオ・デ・グレゴリと演奏した。その後10年間、ギル・クッピニやヘイジー・オスターヴァルトとともに演奏した。1950年代、彼はサイドマンとして、レイモンド・コートや[[ジョルジュ・グルンツ]]を含む自身のアンサンブルで演奏した。1960年代、彼は息子の[[フランコ・アンブロゼッティ]]や、ジョルジュ・グルンツ、[[ダニエル・ヒューール]]を含むクインテットを率いて、ツアーを行い、テレビやラジオ放送で紹介された。彼はこのアンサンブルを1972年にビッグバンドに拡大し、ヨーロッパをツアーし、[[デクスター・ゴードン]]や[[フィル・ウッズ]]と演奏した。グルンツは1978年にこのグループのリーダーとなった。
 
== 出典 ==