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{{Portal クラシック音楽}}
'''ヴィンコ・グロボカール'''('''Vinko Globokar''', [[1934年]][[7月7日]] - )は、[[スロベニア]]人の両親の元に[[フランス]]人の[[アバンギャルド]]で生まれた[[作曲家]]、即興演奏家、[[トロンボーン]]奏者<ref>沼野雄司. 現代音楽史. 中央公論新社[[指揮者]]2021、pp247-250</ref><ref>坂本光太 2021. pp139-140</ref>
 
グロボカールの作品は型にはまらないextended technique(超技術、[[:en:Extended technique]])の使用が特徴的で、同世代の作曲家では[[サルヴァトーレ・シャリーノ]]、[[ヘルムート・ラッヘンマン]]と密接な関係を持っている。しかし、シャリーノやラッヘンマンと違って、グロボカールは自発性と創造力を重要視していて、[[即興]]を必要とすることも多い。多作ではあるが、[[実験音楽]]の世界以外ではグロボカールの名はあまり知られていない。
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==経歴==
グロボカールはフランスの[[ムルト=エ=モゼル県]][[アンデルニー]]に生まれた<ref name=":0" />。ロレーヌの鉱山地域でスロベニア人が多く暮らす村[[テュクニュー]]で育った。両親はスロベニア人で、父親は鉱山労働者として働き、村のスロベニア人合唱団で歌っていた。グロボカールはスロベニアの民俗音楽を聴き、スロベニア人教師からピアノ教育を受けた。そして学校ではフランス語とフランス文化に親しむようになった。2つの文化の間で生まれた緊張が、彼の子供時代を形成した。[[1947年]]、13歳のグロボカールは[[ユーゴスラビア]]の一部であるスロベニアの[[ブリャナジェンベルク]]に移り、そこで[[1955年]]までジャズ・トロンボーン奏者両親して演奏共に帰国し、それから首都[[国立高等音楽・舞踊学校|パュブ国立高等音楽院ャナ]]で勉強するために[[パリ]]に移の寄宿高校へはいった<ref name=":5">坂本 2021. pp141-142</ref>。学校では[[ルネ・レイボヴィ生寮のビツ]]([[アルノルト・シェーグバベルク]]ドに参加し、15歳弟子の1人)から作曲を、アンドレ・ラフォス([[:en:Andre Lafosse|André Lafosse]])からトロンボーンを学んだ。[[1965年]]には[[ベル始め、17歳でュブリャナ放送のビッグバ]]移りスカウトされる程に腕をあげ[[ルチアーノジャズベリオ]]の下で作曲を学んだ。グルは後にベリオの『[[セクエツァ (ベリオ)|セクエンツァV]]』奏者として頭角初演あらわているた<ref name=":5" />
 
[[1955年]]に奨学金を得てパリへ移り、[[パリ国立高等音楽・舞踊学校|パリ国立高等音楽院]]に留学、アンドレ・ラフォス([[:en:Andre Lafosse|André Lafosse]])からトロンボーンを学んだ。学業と同時にジャズ・トロンボーン奏者としてキャバレーやクラブ、クラシック、映画音楽など様々なジャンルで演奏経験を積んだ<ref>坂本 2021. p143</ref>。卒業後に友人の紹介で[[ルネ・レイボヴィッツ]]([[アルノルト・シェーンベルク]]の弟子の1人)から4年間、作曲の個人レッスンを受けた<ref name=":6">坂本 2021. pp143-144</ref><ref name=":0" />。レイボヴィッツの自宅でのサロン・コンサートには[[ジャン=ポール・サルトル|サルトル]]や[[クロード・レヴィ=ストロース|レヴィ=ストロース]]などがしばしば招かれており、グロボカールも様々な分野の専門家と接して興味の範囲を広げ、また前衛音楽演奏家としてのキャリアを積んだ<ref name=":6" />。
1960年代後半、グロボカールは[[オペラ]]『Aus den Sieben Tagen(7つの日から)』で作曲者[[カールハインツ・シュトックハウゼン]]と仕事をし、さらに、[[即興演奏|フリー・インプロヴィゼーション]]・グループ、'''ニュー・フォニック・アート'''('''New Phonic Art''')を(共同で)結成した。[[1967年]]から[[1976年]]にかけて、グロボカールは[[ケルン]]の音楽学校で教鞭を取った。[[1974年]]、グロボカールは楽器・声楽研究のディレクターとして[[IRCAM]]に参加した。
 
[[1964年]]にはDAADからの奨学金を得て[[ベルリン]]に移り、[[ルチアーノ・ベリオ]]の下で作曲を学び、また彼から[[カールハインツ・シュトックハウゼン|シュトックハウゼン]]や[[ピエール・ブーレーズ|ブーレーズ]]の音楽活動を学んだ<ref name=":7">坂本 2021. pp144-146</ref>。グロボカールはベリオのトロンボーン独奏のための『[[セクエンツァ (ベリオ)|セクエンツァV]]』を共同制作し、1966年に初演している<ref name=":7" />。
IRCAMを去った後は、[[ワルシャワ国立フィルハーモニー管弦楽団]]、[[東京フィルハーモニー交響楽団]]、[[フィンランド放送交響楽団]]、[[ケルンWDR交響楽団]]、[[エルサレム交響楽団]]など、多くのオーケストラで指揮をした。[[1980年]]から[[2000年]]まで、[[フィレンツェ]]の[[フィエゾーレ音楽院]]で20世紀音楽演奏の監督をしている。現在は[[ベルリン]]に住んでいる。
 
1965年から翌年にかけてグロボカールは、[[ルーカス・フォス]]からの招きで米国に渡り、[[ニューヨーク州立大学バッファロー校]]で作曲家兼演奏家として滞在した。この時期に彼はオーケストラと合唱のための大作『道』を作曲し初演、それを機に出版社の[[ペータース (出版社)|ペータース]]と契約することになった<ref>坂本 2021. pp146-147</ref>。
 
1966年に米国から帰国後、グロボカールは[[オペラ]]『Aus den Sieben Tagen(7つの日から)』で作曲者[[カールハインツ・シュトックハウゼン]]と仕事をし、また[[ダルムシュタット夏季現代音楽講習会|ダルムシュタット夏季新音楽講習会]]で[[ハインツ・ホリガー]]、[[アロイス・コンタルスキー|アイロス・コンタルスキー]]らと共に即興演奏を行った。グロボカールはシュトックハウゼンの推薦で[[ケルン音楽大学]]にトロンボーン・クラスを開設し、[[1967年]]から[[1976年]]までトロンボーンと作曲を教えた<ref>坂本 2021. p147</ref>。
 
1969年にグロボカールはベルリンで、[[即興演奏|フリー・インプロヴィゼーション]]・グループ、'''ニュー・フォニック・アート'''('''New Phonic Art''')を(共同で)結成した。この即興演奏グループは1982年まで様々な演奏活動を行い、解散した<ref>坂本 2021. pp148-149</ref>。
 
[[1973年]]にグロボカールはブーレーズに招かれ、「楽器と言語の研究」部門長として[[IRCAM]]に参加した<ref>坂本 2021. p150</ref>。
 
[[1979年]]にIRCAMを去った後は、[[ワルシャワ国立フィルハーモニー管弦楽団]]、[[東京フィルハーモニー交響楽団]]、[[フィンランド放送交響楽団]]、[[ケルンWDR交響楽団]]、[[エルサレム交響楽団]]など、多くのオーケストラで指揮をした。[[1980年]]から[[2000年]]まで、[[フィレンツェ]]の[[フィエゾーレ音楽院]]で20世紀音楽演奏の監督をしている。現在は[[ベルリン]]に住んでいる。
 
==音楽のスタイル==
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* 夢占い (心理劇) / [[エドアルド・サングイネーティ|サングイネーティ]] (Traumdeutung (psychodrama) / Sanguineti) 1967【4 chorus, cel, harp, vib, gui, perc】<ref name=":0" />
* 変わらない一日 (Un jour comme un autre) 1975【S, 5 insts】<ref name=":0" /> <ref name=":1">Gewalt/Geräusch/Globokar : Kota Sakamoto Tuba Recital. vol.2. 演奏会プログラム. 2020.3.1 坂本光太</ref> <ref name=":4">[http://mercuredesarts.com/2020/04/14/kota_sakamoto_tuba_recital2-gewalt_gerausch_globokar-nishimura/ 坂本光太チューバリサイタル vol.2 V・グロボカール作品演奏会|西村紗知 | Mercure des Arts] 2020年4月15日閲覧。</ref>
* 背中合わせ (Dos a dos) 1988【2 solo vv (transpotable instruments)】<ref name=":0" /> <ref name=":2">[https://www.suntory.co.jp/suntoryhall/archive/det.html?data_id=10563 サントリー音楽財団サマーフェスティバル2004/Music Today 21: テーマ作曲家「ヴィンコ・グロボカール」室内楽 (全曲日本初演)] 2020年4月10日閲覧。</ref>
 
=== 室内楽曲 ===
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* ドラマ (Drama) 1971【pf, perc】<ref name=":0" />
* 鉄の山 (Eisenberg) 1990【16 musiciens ad lib】<ref name=":0" /> <ref name=":2" />
* 見えない時間 (Blinde Zeit) 1993【7 inst】<ref name=":2" /> <ref>[http://brahms.ircam.fr/works/work/26614/ Vinko Globokar (1934) Blinde Zeit (1993) pour sept instrumentistes et bande magnétique] 2020年4月10日閲覧。</ref> <ref>The New Grove dictionary of music and musicians, 2nd ed., 2001, v.10, p15</ref>
* それでも地球は廻っている (Eppure si muove) 2003【conducting trombonist, 11 inst】<ref name=":2" />
 
=== 独奏曲 ===
* 器楽化された声 (Voix instrumentalisée) 1973【b cl】<ref name=":0" /> <ref name=":1" /> <ref name=":4" />
* エシャンジュ (Échanges) 1973【1 inst】<ref name=":0" /> <ref name=":1" /> <ref name=":4" /> <ref>[https://kunion.repo.nii.ac.jp/?action=pages_view_main&active_action=repository_view_main_item_detail&item_id=2164&item_no=1&page_id=13&block_id=21 坂本光太. グロボカール「エシャンジュ」の自作自演 (私のおすすめ). ぱるらんど 304, p7, 2019-09. 国立音楽大学附属図書館]</ref><ref>[http://id.nii.ac.jp/1520/00002200/ 坂本光太 2020] 2021年5月1日閲覧。</ref>
* レス・アス・エクス・アンス・ピレ (Res/as/ex/ins-pirer) 1973【1 brass inst】<ref name=":0" /> <ref name=":1" /> <ref name=":4" /> <ref>坂本光太. ヴィンコ・グロボカール《レス・アス・エクス・アンス・ピレ》の分析 : 体系化による逸脱の試み. 音楽研究 : 大学院研究年報 31, pp177-193, 2019-03. 国立音楽大学大学院</ref>
 
== 来日公演 ==
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* Allied Artists. [http://www.alliedartists.co.uk/artist_page.php?tid=25&aid=81] ''Allied Artists: Vinko Globokar'', URL accessed on January 7, 2008.
* 季刊InterCommunication 26号 [http://www.nttpub.co.jp/search/books/detail/100000898] ■60年代には私も「われわれ」と言いました。しかしいまは「私」としか言いません。……ヴィンコ・グロボカール/後藤國彦[聞き手]
* [http://id.nii.ac.jp/1520/00002128/ 坂本光太. ヴィンコ・グロボカール《レス・アス・エクス・アンス・ピレ》の分析 : 体系化による逸脱の試み. 音楽研究 : 大学院研究年報 31, pp177-193, 2019-03. 国立音楽大学大学院 2019-03] 2021年5月1日閲覧。
* [http://id.nii.ac.jp/1520/00002200/ 坂本光太. ヴィンコ・グロボカール《エシャンジュ》(1973 / 1985)演奏の考察 : 楽曲とその録音の分析を通して. 音楽研究 : 大学院研究年報 32, pp125-140. 国立音楽大学大学院 2020-03] 2021年5月1日閲覧。
* 坂本光太. ヴィンコ・グロボカール小伝 : 1934年から1970年代まで. 音楽研究 : 大学院研究年報 33, pp139-154. 国立音楽大学大学院 2021.03
 
== 外部リンク ==
* [http://brahms.ircam.fr/vinko-globokar Vinko Globokar page] from IRCAM site (French) 2021年5月1日閲覧。
 
 
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