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{{Infobox Musician <!--Wikipedia:ウィキプロジェクト 音楽家を参照-->
| Name = ヴィンコ・グロボカール<br />Vinko Globokar
| Img = GlobokarVinko.JPG
| Img_capt = 2006年。撮影[[:en:User:Sl-Ziga]]
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| Born = {{生年月日と年齢|1934|7|7}}<br />{{FRA}}、[[アンデルニー]]
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| Genre = アバンギャルド、実験音楽
| Occupation = トロンボーン奏者<br />作曲家、指揮者
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{{Portal クラシック音楽}}
'''ヴィンコ・グロボカール'''('''Vinko Globokar''', [[1934年]][[7月7日]] - )は、[[スロベニア]]人の両親の元に[[フランス]]で生まれた[[作曲家]]、即興演奏家、[[トロンボーン]]奏者<ref>沼野雄司. 現代音楽史. 中央公論新社、2021、pp247-250</ref><ref>坂本光太 2021. pp139-140</ref>。
 
グロボカールの作品は型にはまらないextended technique(超技術、[[:en:Extended technique]])の使用が特徴的で、同世代の作曲家では[[サルヴァトーレ・シャリーノ]]、[[ヘルムート・ラッヘンマン]]と密接な関係を持っている。しかし、シャリーノやラッヘンマンと違って、グロボカールは自発性と創造力を重要視していて、[[即興]]を必要とすることも多い。多作ではあるが、[[実験音楽]]の世界以外ではグロボカールの名はあまり知られていない。
 
一方、トロンボーン奏者としては、自作の他、[[ルチアーノ・ベリオ]]、[[マウリシオ・カーゲル]]、[[カールハインツ・シュトックハウゼン]]、[[ルネ・レイボヴィッツ]]、[[武満徹]]の作品の初演をしている。
 
==経歴==
グロボカールはフランスの[[ムルト=エ=モゼル県]][[アンデルニー]]に生まれた<ref name=":0" />。ロレーヌの鉱山地域でスロベニア人が多く暮らす村[[テュクニュー]]で育った。両親はスロベニア人で、父親は鉱山労働者として働き、村のスロベニア人合唱団で歌っていた。グロボカールはスロベニアの民俗音楽を聴き、スロベニア人教師からピアノ教育を受けた。そして学校ではフランス語とフランス文化に親しむようになった。2つの文化の間で生まれた緊張が、彼の子供時代を形成した。[[1947年]]、13歳のグロボカールは[[ユーゴスラビア]]の一部であるスロベニアの[[ジュジェンベルク]]に両親と共に帰国し、首都[[リュブリャナ]]の寄宿高校へはいった<ref name=":5">坂本 2021. pp141-142</ref>。学生寮のビッグバンドに参加し、15歳の時トロンボーンを始め、17歳でリュブリャナ放送のビッグバンドにスカウトされる程に腕をあげ、ジャズ・トロンボーン奏者として頭角をあらわした<ref name=":5" />。
 
[[1955年]]に奨学金を得てパリへ移り、[[パリ国立高等音楽・舞踊学校|パリ国立高等音楽院]]に留学、アンドレ・ラフォス([[:en:Andre Lafosse|André Lafosse]])からトロンボーンを学んだ。学業と同時にジャズ・トロンボーン奏者としてキャバレーやクラブ、クラシック、映画音楽など様々なジャンルで演奏経験を積んだ<ref>坂本 2021. p143</ref>。卒業後に友人の紹介で[[ルネ・レイボヴィッツ]]([[アルノルト・シェーンベルク]]の弟子の1人)から4年間、作曲の個人レッスンを受けた<ref name=":6">坂本 2021. pp143-144</ref><ref name=":0" />。レイボヴィッツの自宅でのサロン・コンサートには[[ジャン=ポール・サルトル|サルトル]]や[[クロード・レヴィ=ストロース|レヴィ=ストロース]]などがしばしば招かれており、グロボカールも様々な分野の専門家と接して興味の範囲を広げ、また前衛音楽演奏家としてのキャリアを積んだ<ref name=":6" />。
 
[[1964年]]にはDAADからの奨学金を得て[[ベルリン]]に移り、[[ルチアーノ・ベリオ]]の下で作曲を学び、また彼から[[カールハインツ・シュトックハウゼン|シュトックハウゼン]]や[[ピエール・ブーレーズ|ブーレーズ]]の音楽活動を学んだ<ref name=":7">坂本 2021. pp144-146</ref>。グロボカールはベリオのトロンボーン独奏のための『[[セクエンツァ (ベリオ)|セクエンツァV]]』を共同制作し、1966年に初演している<ref name=":7" />。
 
1965年から翌年にかけてグロボカールは、[[ルーカス・フォス]]からの招きで米国に渡り、[[ニューヨーク州立大学バッファロー校]]で作曲家兼演奏家として滞在した。この時期に彼はオーケストラと合唱のための大作『道』を作曲し初演、それを機に出版社の[[ペータース (出版社)|ペータース]]と契約することになった<ref>坂本 2021. pp146-147</ref>。
 
1966年に米国から帰国後、グロボカールは[[オペラ]]『Aus den Sieben Tagen(7つの日から)』で作曲者[[カールハインツ・シュトックハウゼン]]と仕事をし、また[[ダルムシュタット夏季現代音楽講習会|ダルムシュタット夏季新音楽講習会]]で[[ハインツ・ホリガー]]、[[アロイス・コンタルスキー|アイロス・コンタルスキー]]らと共に即興演奏を行った。グロボカールはシュトックハウゼンの推薦で[[ケルン音楽大学]]にトロンボーン・クラスを開設し、[[1967年]]から[[1976年]]までトロンボーンと作曲を教えた<ref>坂本 2021. p147</ref>。
 
1969年にグロボカールはベルリンで、[[即興演奏|フリー・インプロヴィゼーション]]・グループ、'''ニュー・フォニック・アート'''('''New Phonic Art''')を(共同で)結成した。この即興演奏グループは1982年まで様々な演奏活動を行い、解散した<ref>坂本 2021. pp148-149</ref>。
 
[[1973年]]にグロボカールはブーレーズに招かれ、「楽器と言語の研究」部門長として[[IRCAM]]に参加した<ref>坂本 2021. p150</ref>。
 
[[1979年]]にIRCAMを去った後は、[[ワルシャワ国立フィルハーモニー管弦楽団]]、[[東京フィルハーモニー交響楽団]]、[[フィンランド放送交響楽団]]、[[ケルンWDR交響楽団]]、[[エルサレム交響楽団]]など、多くのオーケストラで指揮をした。[[1980年]]から[[2000年]]まで、[[フィレンツェ]]の[[フィエゾーレ音楽院]]で20世紀音楽演奏の監督をしている。現在は[[ベルリン]]に住んでいる。
 
==音楽のスタイル==
グロボーカルの音楽は、自発性、[[エネルギー]]、型破りな楽器な作曲技術の斬新な使用が特色である。その作品は、ジャズやフリー・インプロヴィゼーションというグロボカールの背景を反映して、不確定で即興的である。グロボカールの音色の範囲は非常に多様で、その作品はextended techniquesのあっと言わせるようなものの連続である。たとえば、ソロ・パーカッションのための作品『Toucher』では、演奏者はずらりと並べたパーカッションで音節パターンを演奏しながら、同時に物語を語る。
 
[[ヘルムート・ラッヘンマン]]、[[サルヴァトーレ・シャリーノ]]、[[アーサー・カンペラ]]といった作曲家たちの仕事に、さらに[[アンソニー・ブラクストン]]([[:en:Anthony Braxton]])の最近の作品に、グロボカールの音楽世界の影響は感じられるかも知れない。
 
== 主な作品 ==
 詳細は「[[グロボカールの作品一覧]]」を参照
* タイトル / テキストの著者 (原題) 作曲年【編成】
=== 舞台作品 ===
* 移民-三連画. 1 不幸, 2 現実/瞬間, 3 国境の星座 (Les émigrés, triptique. 1. Miserere, 2. Réaités/Augenblicke, 3. Sternbild der Grenze) 1982-1986【1: 5 narrators, orch, jazz trio, 2: 5 solo vv, tape, film, projection of slides, 3: B, MS, 5 solo vv, 18 inst】<ref name=":0">ニューグローヴ世界音楽大事典 (講談社, 1994-5) 第6巻 pp268-269</ref>
 
=== 管弦楽曲 ===
* 道 / [[ウラジーミル・マヤコフスキー|マヤコフスキー]] (Voie / Maiakovsky) 1965-1966【narrator, chorus, orch】<ref name=":0" />
* 民謡のためのエチュード II (Etude pour folklora II) 1968【orch】<ref name=":0" />
* 労働 (Labour) 1992【large orch】<ref name=":3">[https://www.suntory.co.jp/suntoryhall/archive/det.html?data_id=10554 サントリーホール国際作曲委嘱シリーズNo.28 (監修: 湯浅譲二) テーマ作曲家「ヴィンコ・グロボカール」] 2020年4月10日閲覧。</ref>
* 人質 (Les otages) 2003【orch, sampler】<ref name=":3" />
 
=== 声楽付合奏曲 ===
* 一致 / グロボカール (Accord / Globokar) 1966【S, fl, trbn, vc, elec org,, perc】<ref name=":0" />
* 夢占い (心理劇) / [[エドアルド・サングイネーティ|サングイネーティ]] (Traumdeutung (psychodrama) / Sanguineti) 1967【4 chorus, cel, harp, vib, gui, perc】<ref name=":0" />
* 変わらない一日 (Un jour comme un autre) 1975【S, 5 insts】<ref name=":0" /> <ref name=":1">Gewalt/Geräusch/Globokar : Kota Sakamoto Tuba Recital. vol.2. 演奏会プログラム. 2020.3.1 坂本光太</ref> <ref name=":4">[http://mercuredesarts.com/2020/04/14/kota_sakamoto_tuba_recital2-gewalt_gerausch_globokar-nishimura/ 坂本光太チューバリサイタル vol.2 V・グロボカール作品演奏会|西村紗知 | Mercure des Arts] 2020年4月15日閲覧。</ref>
* 背中合わせ (Dos a dos) 1988【2 solo vv (transpotable instruments)】<ref name=":0" /><ref name=":2">[https://www.suntory.co.jp/suntoryhall/archive/det.html?data_id=10563 サントリー音楽財団サマーフェスティバル2004/Music Today 21: テーマ作曲家「ヴィンコ・グロボカール」室内楽 (全曲日本初演)] 2020年4月10日閲覧。</ref>
 
=== 室内楽曲 ===
* ディスクール I (Discours I) 1967【trbn, 4 perc】<ref name=":0" />
* 交感 (Correspondences) 1969【1 ww, 1 brass, 1 perc, 1 kbd】<ref name=":0" />
* ドラマ (Drama) 1971【pf, perc】<ref name=":0" />
* 鉄の山 (Eisenberg) 1990【16 musiciens ad lib】<ref name=":0" /> <ref name=":2" />
* 見えない時間 (Blinde Zeit) 1993【7 inst】<ref name=":2" /><ref>[http://brahms.ircam.fr/works/work/26614/ Vinko Globokar (1934) Blinde Zeit (1993) pour sept instrumentistes et bande magnétique] 2020年4月10日閲覧。</ref><ref>The New Grove dictionary of music and musicians, 2nd ed., 2001, v.10, p15</ref>
* それでも地球は廻っている (Eppure si muove) 2003【conducting trombonist, 11 inst】<ref name=":2" />
 
=== 独奏曲 ===
* 器楽化された声 (Voix instrumentalisée) 1973【b cl】<ref name=":0" /><ref name=":1" /><ref name=":4" />
* エシャンジュ (Échanges) 1973【1 inst】<ref name=":0" /><ref name=":1" /><ref name=":4" /><ref>[https://kunion.repo.nii.ac.jp/?action=pages_view_main&active_action=repository_view_main_item_detail&item_id=2164&item_no=1&page_id=13&block_id=21 坂本光太. グロボカール「エシャンジュ」の自作自演 (私のおすすめ). ぱるらんど 304, p7, 2019-09. 国立音楽大学附属図書館]</ref><ref>[http://id.nii.ac.jp/1520/00002200/ 坂本光太 2020] 2021年5月1日閲覧。</ref>
* レス・アス・エクス・アンス・ピレ (Res/as/ex/ins-pirer) 1973【1 brass inst】<ref name=":0" /><ref name=":1" /><ref name=":4" /><ref>坂本光太. ヴィンコ・グロボカール《レス・アス・エクス・アンス・ピレ》の分析 : 体系化による逸脱の試み. 音楽研究 : 大学院研究年報 31, pp177-193, 2019-03. 国立音楽大学大学院</ref>
 
== 来日公演 ==
=== 1986年 ===
1986年10月12日に開館した東京の[[サントリーホール]]は、オープニング・シリーズとして5人の作曲家に新作を委嘱した。10月15日の初回を飾ったのは武満徹作曲『[[ジェモー]] (ふたご座) - オーボエ、トロンボーン、2つのオーケストラ、2人の指揮者のための』であった。この世界初演にトロンボーンソリストとして出演したのがグロボカールである。指揮は[[井上道義]]と[[尾高忠明]]、オーボエは[[ブルクハルト・グレッツナー]]、管弦楽は[[新日本フィルハーモニー交響楽団]]と[[東京フィルハーモニー交響楽団]]であった<ref>[https://www.suntory.co.jp/suntoryhall/global/composers/s1.html サントリーホール国際作曲委嘱シリーズ 1986-1998 監修:武満徹] 2020年4月6日閲覧</ref> 。なおこの公演は、「[[サントリーホール国際作曲委嘱シリーズ]]」の第1回であった。
=== 2004年 ===
「サントリーホール国際作曲委嘱シリーズ」はその後毎年開催され、世界の第一線で活躍する作曲家に管弦楽作品を委嘱しており、グロボカールは2004年のテーマ作曲家に選ばれた。監修は[[湯浅譲二]]であった。同年8月23日から30日にかけて、サントリーホールを会場に開催された「サントリー音楽財団サマーフェスティバル2004」では、25日に大ホールで管弦楽作品『労働』 (1992) と『人質』 (委嘱作品、2003) が演奏され、グロボカールは指揮者としてステージに上がった。この委嘱シリーズでは新作だけでなく、テーマ作曲家自らが「影響を受けた作品」と、「注目している若手の作品」を含む選曲を担当する、という基本コンセプトがある<ref>[https://www.suntory.co.jp/suntoryhall/global/composers/numano.html 沼野雄司「サントリーホール国際作曲委嘱シリーズの歴史と成果」 | サントリーホール] 2020年4月9日閲覧。</ref>。グロボカールが選んだのは、師である[[ルネ・レイボヴィッツ]]のトロンボーン協奏曲『コンチェルティーノ』 (1960) と、スロベニアの若き作曲家[[ラリッサ・ヴルハンク]]の『ホログラム』であった<ref name=":3" />。
 
また30日の小ホール (ブルーローズ) での室内楽演奏会では、グロボカールの作品4曲が演奏され、彼は指揮及びトロンボーン奏者として登場した<ref name=":2" />。更に初日の8月23日には、「作曲家ヴィンコ・グロボカールは語る」と題したトークが小ホールで行われている<ref>[https://www.suntory.co.jp/suntoryhall/archive/det.html?data_id=10550 サントリーホール国際作曲委嘱シリーズNo.28「作曲家ヴィンコ・グロボカールは語る」] 2020年4月10日閲覧。</ref> 。
 
== 脚注 ==
{{Reflist}}
 
==参考文献==
* Allied Artists. [http://www.alliedartists.co.uk/artist_page.php?tid=25&aid=81] ''Allied Artists: Vinko Globokar'', URL accessed on January 7, 2008.
* 季刊InterCommunication 26号 [http://www.nttpub.co.jp/search/books/detail/100000898] ■60年代には私も「われわれ」と言いました。しかしいまは「私」としか言いません。……ヴィンコ・グロボカール/後藤國彦[聞き手]
* [http://id.nii.ac.jp/1520/00002128/ 坂本光太. ヴィンコ・グロボカール《レス・アス・エクス・アンス・ピレ》の分析 : 体系化による逸脱の試み. 音楽研究 : 大学院研究年報 31, pp177-193. 国立音楽大学大学院 2019-03] 2021年5月1日閲覧。
* [http://id.nii.ac.jp/1520/00002200/ 坂本光太. ヴィンコ・グロボカール《エシャンジュ》(1973 / 1985)演奏の考察 : 楽曲とその録音の分析を通して. 音楽研究 : 大学院研究年報 32, pp125-140. 国立音楽大学大学院 2020-03] 2021年5月1日閲覧。
* 坂本光太. ヴィンコ・グロボカール小伝 : 1934年から1970年代まで. 音楽研究 : 大学院研究年報 33, pp139-154. 国立音楽大学大学院 2021.03
 
== 外部リンク ==
* [http://brahms.ircam.fr/vinko-globokar Vinko Globokar page] from IRCAM site (French) 2021年5月1日閲覧。