「広瀬川 (宮城県)」の版間の差分

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==水害==
*[[1835年]](天保6年)[[8月29日]] - 奥羽国境から仙台城下にかけて大嵐と大雨。水位が7メートルを超えて武家地や町が広く浸水した。流失299件、半流(一部損傷)356件<ref>佐藤大介 著 中塚武 監修「第6章 仙台藩における天保の基金への社会的対応」『気候変動から読み直す日本史6 近世の列島を俯瞰する』p201 2020年11月30日 臨川書店 {{全国書誌番号|23471480}}</ref>。
*[[1901年]](明治34年)
*[[1950年]](昭和25年)[[8月4日]] - 集中豪雨により市内各所で氾濫。死者3人、行方不明者16人、家屋流失102戸、浸水家屋約5000戸、被災者約50000人。特に花壇に存在した市営住宅は、59戸が次々と押し流される被害となった<ref>「忽ち濁流に呑まる 仙台市内広瀬川氾濫」『日本経済新聞』昭和25年8月5日3面</ref>。