「ボニージャックス」の版間の差分

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→‎略歴: デビュー1年前の苦労話、その小島との関わりを補足。
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==略歴==
[[早稲田大学グリークラブ]]に所属していたメンバーによって結成(名づけ親は早大OBで作曲家の[[磯部俶]])、アマチュアとして歌っていた。その後、ラジオ番組「青春ジャズ大学」出演の際に司会の[[笈田敏夫]]がその歌声を絶賛。友人の[[小島正雄]]に紹介し、小島の尽力でプロデビューとなった。レパートリーの幅広さでは他の追随を許さず、世界各国の民謡、歌曲、ジャズ、童謡から軍歌、CM曲、テレビ主題歌、ラジオ主題歌、社歌、寮歌など、通算5000曲以上にのぼるという
 
小島は「レパートリーを百曲積むまでは絶対にデビューするな」と厳命し<ref>『合唱サークル』1966年10月号(音楽之友社)、p.60-63「ダークとボニーの生活と意見」(ダークダックス・ボニージャックスの全メンバー8人による座談会)。「レパートリー百曲」の逸話はp.61上段で言及。</ref>、4人はそれを達成すべく、1958年の初めから東京・杉並の早大OB宅の離れを借りて約1年間の合宿自炊生活を行ない、1日8時間の練習に明け暮れた。その間、鹿島が牛乳配達をし、大町・玉田は米軍キャンプで、西脇は他のコーラスで歌い糊口を凌ぐ。同年暮れ、クリスマスイブのラジオ番組で念願のプロデビューを果たす<ref>読売新聞(夕刊)1969年1月27日・12頁「十年目迎えたボニー・ジャックス」。</ref>。
'''歌の伝道師'''の異名を取り、ロシア民謡「一週間」や合唱曲「遥かな友に」、童謡「ちいさい秋みつけた」「手のひらを太陽に」などは、ボニーが歌ったことから広く知られるようになった。
 
レパートリーの幅広さでは他の追随を許さず、世界各国の民謡、歌曲、ジャズ、童謡から軍歌、CM曲、テレビ主題歌、ラジオ主題歌、社歌、寮歌など、通算5000曲以上にのぼるという。'''歌の伝道師'''の異名を取り、ロシア民謡「一週間」や合唱曲「遥かな友に」、童謡「ちいさい秋みつけた」「手のひらを太陽に」などは、ボニーが歌ったことから広く知られるようになった。
近年は、同形態をとるコーラスグループ[[デューク・エイセス]]と[[ダークダックス]]との共同でショー開催もしている。
 
近年は、同形態をとるコーラスグループ[[デューク・エイセス]]と[[ダークダックス]]との共同ショー開催もして度々行な、これは両グループが実質活動停止(解散)すまで続いた
 
2016年10月26日アカペラ&ボイスパーカッショングループ[[Baby Boo|ベイビー・ブー]]と総勢9人のコーラスユニットボニーさんとブーを結成。シングル「じいじのシンデレラ」をリリース。