「甲子園競輪場」の版間の差分

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* [[1999年]]9月23日 - 9月29日 - 開設以来初めての特別競輪(現在の[[競輪の競走格付け#GI (G1)|GI]])「[[オールスター競輪]]」を開催。本来は9月28日が決勝戦(当時は6日間開催)であったが、[[平成11年台風第18号|台風]]直撃による開催休止があり(9月24日)、1日順延となった。これを機に5月には選手宿舎「甲子園サイクル会館」も竣工していた<ref>[http://www.mike.co.jp/zen1/3/000927/index.html 甲子園競輪場] - 鷲田善一の世界</ref>。
 
だが、競輪の収益は全国的に[[1990年代]]中盤から頭打ちとなり、年々減少の一途となり、ついに収支が赤字転落の危機を迎えた。一時は甲子園競輪場も廃止が噂され大騒ぎとなるが、存続に方針転換する。古くは[[1985年]]ごろから収支改善のため、西宮市が独自に競輪事業のあり方を調査研究するプロジェクトチームを発足、人件費削減などを柱とする提言をとりまとめたこともあった。その後は1990年代に入り電話投票による車券発売や、近畿で初めてマークシート方式による車券投票制度の導入、[[阪急西宮スタジアム#西宮競輪場|西宮競輪場]]ではそれまでなかった特別観覧席の新設、特別競輪であるオールスター競輪の誘致など、ファンの新規獲得や収支改善にも努めたがそれでも好転しなかった。特に、1999年のオールスター競輪は約10億円の黒字を出して成功したがその他のレースは皆赤字という状況で、結果として同年度は約2億円の赤字を計上。その後も、一部発売窓口を閉鎖したり、組合員(競輪場の従業員)を全員解雇のちそれ以前の半分の賃金で再雇用するなど、収支改善経費削減努めたがそれでも好転せず、「黒字化の目途が立たない」として、最終的に施設を抱えていた西宮市市長の[[山田知]](当時)が撤退を決断する。後に主催者の兵庫県市町競輪事務組合が、財政難を理由に競輪事業からの撤退を正式に表明し、[[2002年]]3月の開催を最後に西宮競輪とともに廃止されることとなった <ref>{{cite news |url=http://www.shikoku-np.co.jp/feature/tuiseki/301/ |title=公営ギャンブル冬の時代 |newspaper=[[四国新聞]] |publisher=四国新聞社 |date=2005-06-12 |accessdate=2021-05-04 |archiveurl=http://web.archive.org/web/20130527160012/http://www.shikoku-np.co.jp/feature/tuiseki/301/ |archivedate=2013-05-27 }}</ref>
 
2002年3月19日を以って甲子園競輪は廃止された。最終レース終了後、兵庫県市町競輪事務組合による挨拶のあと、地元選手がバンクからレース用ユニフォームをスタンドに投げ込んだ。