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'''ポンティアヌス '''
235年、教皇と[[対立教皇]][[ヒッポリュトス (対立教皇)|ヒッポリュトス]]は、共に皇帝[[マクシミヌス・トラクス]]によって追放され、[[サルデーニャ]]の鉱山で強制労働させられた。これにより、ヒッポリュトスが自らこそがローマ司教であることを主張して引き起こした教会の分裂は終結した。結果的に彼は235年の9月25日(あるいは28日)に教皇職を退くことになった。
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[[Category:3世紀の
[[Category:カトリック教会の聖人]]
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